台湾の苦難の歴史と坂井徳章の生涯。228事件に至るまでの「正義と勇気」の源泉。

2019年5月12日発信。
2017年3月号の月刊誌『正論』掲載のKadota Ryusho論文を踏まえ、228事件に至る台湾の苦難の歴史と、台湾人の人権を守るために生きた坂井徳章の壮絶な人生を描く。
日台の絆の象徴である徳章の生涯を通して、台湾を守ることの意味を問う論考。

2019-05-12
しかし、初志貫徹のために台南に帰った徳章を待っていたのは、日本の敗戦、国民党軍の進駐、蒋介石政府の圧政という激変にほかならなかった。
以下は2017年3月号の月刊誌「正論」に掲載された門田隆将の論文からである。
私は慟哭した。落涙を禁じえなかった。
今は、朝日新聞やNHKの報道部などの連中や所謂文化人達は、この坂井徳章さんの爪の垢を煎じて飲まなければならないと強く思っている。
中国空母の威嚇に屈するな
“日台の絆”坂井徳章の「正義と勇気」を…
「2017年は、台湾が”大乱”に見舞われる」-そんな不気味な予測が年明け以降、ひとり歩きを始めた。
その原因となる中国に、計算違いとも言える事態が進行し、まさに「台湾海峡波高し」の状況が生まれつつあるのだ。
1月12日、トランプ氏がウォールストリート・ジヤーナル紙の取材に対して、中国と台湾が共に「一つの中国」に属するという考えを「見直す可能性」を示唆した。
「中国とは“一つの中国”を含む全てが交渉の対象だ」
この発言は、中国に計り知れない衝撃と怒りをもたらした。
中国との経済交渉を「有利に持っていく」ためのトランプ氏らしい周到な発言という観測もある一方、新設された「国家通商会議」のトップに、中国問題随一の専門家であり、同時に対中強硬派で知られるピーター・ナヴァロ氏(カリフォルニア大学教授)が就任したのをはじめ、中国にとっては「あり得ないこと」が続く中での発言だった。
さっそく中国外務省の陸慷報道局長は、「台湾は中国領土の分割不可能な一部分であり、中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府だ。これは国際社会において公認された事実であり、誰も変更することはできない」と猛反発した。
台湾の蔡英文総統の中米歴訪に合わせて、中国の空母『遼寧』が、威嚇するかのように、ぐるりと台湾を一周するなど、年明け以降、不穏な空気が漂っている。
折しも、台湾では、この2月28日に228事件70周年」を迎える。昨年発足した蔡英文政権は、国家的事業として、228事件70周年」を位置づけている。
それは、大陸と自分たちとは「いかに相容れないか」を内外に示すものでもある。
私は、この70周年を前に“日台同時発売”となったノンフィクション『汝、ふたつの故国に殉ず』を上梓した。
日本では角川書店から、台湾では玉山社出版公司からの刊行である。
私は多くの日本人に「228事件」と、この事件で多くの台湾人の命を救い、命日が「正義と勇気の日」にまで制定されている弁護士「坂井徳章(台湾名・湯徳章)」のことを知っていただきたいと思う。
それは、台湾が歩んだ苦難の歴史を知れば、なぜ台湾で常に日本が圧倒的に好感度1位であり、同時に日本にとって、その台湾を守ることがいかに自らを「守ることに繋がるか」が、わかってもらえると思うからである。
国際社会の「壮大な虚構」
台湾に行くと、誰でも抱く「疑問」がある。
言いかえれば、それは、国際社会の「壮大な虚構」とでも表現すべきだろうか。
台北には、厳めしい総統府があり、日本の国会にあたる立法院があり、国防部(防衛省)もあり、外交部(外務省)があり……と、すべての官庁が揃っている。
国家としての「統治機構」は、すべて整っており、どこの国にも見劣りしない。
それもそのはず、1971年まで、台湾(当時の中華民国)は、米、英、仏、ソ連(現在はロシア)と共に、国連安全保障理事会の「常任理事国」だった。
歴史的に見れば、日本の真珠湾攻撃によってアメリカが第二次世界大戦に参戦し、1942年1月1日に26か国によって「連合国共同宣言」が発せられた。
この中で最大の力を発揮し、戦争を完遂した「四大国」こそ、米、英、ソ連と中華民国だったのだ。
つまり、中華民国は戦後発足したUNITED NAT10NS(日本では「国際連合」と訳す)でも、最重要な創立メンバーだったのである。
しかし、中華人民共和国(以下、「中国」)の国連加盟を認めたアルバニア決議(第2758号決議)を不服として、1971年、中華民国は国連を脱退する。
もっとも、国連憲章の記載では、いまだに中華民国が「常任理事国」となっている。
そんなかつての”大国”が、今は、国際スポーツの大会でも「チャイニーズ・タイペイ」なる奇妙な名称で呼ばれ、さまざまな国際組織や会議からも、事実上、締め出されている。
つまり、中国による「一つの中国」の主張と圧力に従って、台湾は「国家」として認められていないのである。
しかし、先に記したように、台湾はどこから見ても「国家」であり、中国の統治は、今に至るも一度も及んではいない。
言ってみれば、トランプ氏の冒頭の発言は、この国際社会の「壮大な虚構」に対して、初めて“疑問の声”を挙げたものだった。
毛沢東率いる中国共産党が中華人民共和国の成立を宣言したのは、1949年10月のことだ。
そして、国連にやっと加盟できたのは、それから22年後の1971年である。
毛沢東と蒋介石-生涯の仇だった二人の領袖は、お互いを殲滅する夢を見続けたが、1970年代半ばに相次いで死去する。
しかし、その遺恨は今も続いていることになる。
だが、トランプ氏は、そんな奇妙な「現実」に彼らしい方法で疑問を呈したのである。
「228事件」とは
さて、本題の「228事件」にもどそう。
1947年2月28日に勃発したこの事件は、国民党政府と軍による台湾人弾圧・虐殺事件のことである。
犠牲者の総数は、2万人を超える。
敗戦により台湾から去った日本軍と日本人。
その代わりに、台湾の新たな統治者となった国民党政府は、共産軍との熾烈な内戦が始まったため、蒋介石が台湾に陳儀を行政長官として差し向け、統治に当たらせた。
しかし、台湾は半世紀におよぶ日本統治で、世界でも他に例を見ないほどの高い教育レベルを誇る地となっていた。
就学率は70%、識字率も90%を超えるという水準は、当時の国際社会で、いずれもトップクラスである。
だが、そこへ、混乱が長く続き、就学率・識字率も極めて低い”大陸からの支配者”が渡台してくるのである。
終戦2か月後の双十節(10月10日)に台湾各地に進駐してきた国民党軍の姿を見て、台湾人は仰天し、失望する。
草鞋や裸足姿の兵隊は、よれよれの軍服に、天秤棒で荷物を担いだり、あるいは、なべ釜まで網に放り込み、それを背負って民衆の前に現われたのだ。
唖然とする台湾人をよそ眼に、彼らは台湾からの財産収奪を容赦なくおこない、食糧、工業品、農作物……果ては、工場で生産に不可欠な機械類まで手当たり次第に収奪し、大陸へ持っていって売り捌いたのだ。
飢餓状態に陥った台湾では、自殺者が相次ぎ、経済破綻とインフレが人々を苦しめ、台湾人の不満がやがて爆発する。
1947年2月27日、台北でたばこ売りの寡婦が警察に殴打された出来事をきっかけに228事件は勃発した。抗議の人々に警察が発砲し、翌28日には、台北の専売局が民衆に襲われ、行政長官公舎に押しかけた民衆デモに警察が機銃掃射をおこない、多数の死者が出る事態となる。
怒った民衆が、台北の台北放送局を占拠して、全島に「決起せよ。中国人を追い出せ」という放送がなされ、台中、嘉義、台南、高雄……次々と民主化要求の民衆蜂起は広がり、台湾全島が大混乱に陥っていくのである。
一方、各地で、228事件処理委員会が発足し、台湾人による治安の維持と騒乱の鎮静化もはかられた。
拙著の主役・坂井徳章弁護士は、台南市において、国民党軍による弾圧を避けるために暴乱を押しとどめた人物である。
参議員の地位にあった徳章は、民衆蜂起に対して、どんな弾圧と迫害が待っているかという「先」を読んでいた。
徳章は、台南市の二二八事件処理委員会の治安組組長となり、蜂起しようとする学生たちの集会に乗り込み、蜂起を断念させるなど、民衆を守るために必死の活動を展開する。
すでに蜂起していた学生たちからは、武器の回収を実施し、彼らの「命」を救うのである。
苦難の人生
徳章は、熊本県の宇土出身の日本人警察官の父と台湾人の母との問に生まれた。
つまり、徳章は、「日本人」であり、同時に「台湾人」でもあった。日台の”絆”を生まれながらにして表わす人物だと言っていいだろう。
徳章は、台湾南部の台南州で育つが、8歳の時に父・徳蔵が「西来庵事件」という警察襲撃事件で命を落としている。
台湾人の母の手ひとつで育てられた徳章は、貧困の中でも抜群の頭脳を発揮した。
辛酸を舐めながら巡査となった徳章は、警察で順調に出世していく。
しかし、次第に台湾人差別の実態に失望し、本島人(台湾人)として只一人、警部補に出世していたにもかかわらず、警祭を辞職する。
「差別をなくし、台湾人の人権を守るために弁護士になる」
徳章は帝都・東京に父の弟である坂井又蔵を頼って妻と息子と共に上京し、当時の日本の最難関国家試験である高等文官試験に挑戦するのである。
又蔵の養子となった徳章は、「小学校卒」という学歴にもかかわらず、「専検試験」「予備試験」「本試験」という三つの試験勉強を同時並行でおこなった。
そして、中央大学法学部の聴講生として、1941年10月、ついに高等文官司法科試験(現在の司法試験)に合格。
その猛勉強ぶりは、昼も夜も、また冬も夏もなく、身体を壊さないのが不思議なほど過酷なものだった。
それを支えたのは、「なんとしても台湾に人権の確立を」という強烈な意思によるものだった。
しかし、初志貫徹のために台南に帰った徳章を待っていたのは、日本の敗戦、国民党軍の進駐、蒋介石政府の圧政という激変にほかならなかった。
そして、台湾人の人権を守るために弁護士として東奔西走する徳章が遭遇したのが、この228事件だったのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください