「歴史修正主義」という罵倒語の正体。朝日新聞の欺瞞と左翼用語の危険性。
2019年5月9日発信。
朝日新聞記者・豊秀一の講演内容を踏まえ、「歴史修正主義」という言葉が本来いかなる政治的・思想的文脈を持つかを解き明かし、そのレッテル貼りの危険性を論じた一篇。
慰安婦報道をめぐる朝日新聞の論理のすり替えと、左翼用語を一般社会に持ち込む欺瞞を鋭く批判している。
2019-05-09
だから、その絶対〈正〉に疑いを持ったり、別の〈正〉を唱えたりするのは、修正主義者であると罵倒し、罪とする。当然、その思想を改めさせるため、政治収容所や労働改造所に送りこむ
以下は、更に、豊秀一に関しての記事である。http://tigerdream777-no.blog.jp/archives/45688268.htmlから。と題してOctober 18, 2015に発信した章である。
見出し以外の文中強調は私。
朝日新聞・豊秀一の恥知らずな講演
朝日新聞の豊秀一という記者が、韓国までノコノコ出かけて行って、
ソウル大アジア研究所主催の「慰安婦問題と戦後の日本」というセミナーで講演を行った。
そこで、相変わらず…
朝日新聞は「慰安婦捏造問題」に関して、まったく反省していないことが露わになった。
豊が言うには…
「国際的に慰安婦問題を戦時性暴力とみて、女性の人権問題で認識
しようとする風潮が現れた一方、日本国内では歴史修正主義的な動き
が強まった」とのこと。
まず、「慰安婦問題」を「女性の人権問題」とすり替えたのは…
捏造がばれた朝日新聞が苦し紛れに言い出したことではないか。
朝日新聞の慰安婦報道を検証した「身内」の第三者委員会でさえ
「論理のすり替え」と言っているものだ。
慰安婦問題のスタートは「強制連行」といった強制性があったかという
ことだった。
それを…
朝日新聞が「狭義の強制性」→「広義の強制性」→「女性の人権問題」とすり替えて行っただけである。
それを…
「女性の人権問題で認識しようとする風潮が現れた」とは開いた口が塞がらない。
また「日本国内では歴史修正主義的な動きが強まった」とも言っているが、朝日新聞こそ「歴史修正主義」の本家本元ではないか。
呆れるばかりだ。
さらには、「ネット上では慰安婦問題は朝日新聞の捏造などのデマが広がった」ときた。
デマとは恐れ入った。
朝日新聞が慰安婦報道に関して、まったく反省してない一言だ!!!
吉田清治のウソ話を事実のごとく垂れ流し…
それを元にした印象記事を書きまくり…
植村隆の「挺身隊として戦場に連行された」という記事で完成した朝日新聞の慰安婦捏造。
ついに言い逃れすることができなくなり…
昨年8月みじめな検証記事を載せ…
そこで「女性の人権問題」と言い張り…
9月の記者会見でも木村と杉浦が同様に…
失笑ものの言い訳に終始した姿は、哀れの一言だった。
朝日新聞は「女性の人権問題」と言うなら…
なぜ朝鮮戦争時の韓国人慰安婦について報道検証しない?
なぜベトナム戦争時の韓国軍の戦時性暴力について検証報道をしない?
この件に関して、豊はどう考えているのか???
まあ…
こういうダブルスタンダードを恥ずかしいと思わないのが朝日新聞である。
豊は自覚すべきである。
朝日新聞自身が真の日韓関係を阻害している主因であることを。
朝日新聞、及び記者連中は「恥」という言葉を知らないようだ。
他人に対してよく使う「自浄作用」もない。
もう妄言はうんざりだ。
真に反省して出直すことができないなら…
早く潰れてくれ!!!!!
上記の朝日新聞記者・豊の発言「国際的に慰安婦問題を戦時性暴力とみて、女性の人権問題で認識しようとする風潮が現れた一方、日本国内では歴史修正主義的な動きが強まった」については、
加地伸行さんの名著に、そもそも、彼は用語の用い方において間違っている事を明らかにしている章がある。
「歴史修正主義」のレッテルは権力闘争の道具
近ごろ「歴史修正主義」ということばが目につく。
それを使っている多くの場合は、こうである。
歴史上の事で確定していることを改新しようとしているとして非難するときに「歴史修正主義」というレッテルを貼っている。
具体的な例を挙げる。
保守派が左筋の歴史観を自虐史観として批判しているが、それを歴史修正主義と称して左筋は非難しているわけである。
愚かな話である。
と言うのは、そもそも「修正主義」ということばは、元来、共産主義者・社会主義者らの業界用語なのであって、一般用語ではないからである。
その昔、マルクス主義が政治として登場した後、それまでにすでにできていた議会制を生かしながら、マルクス主義的政策の中の現実性があるもの(社会保障制度など)を取り入れてゆこうとした、ドイツ社会民主党のベルンシュタインの立場を修正社会主義、略して修正主義と言った。
柔らかいマルクス主義とても言うべきか。
これに対して、ごりごりのマルクス主義者(教条主義者・左翼小児病者ら)は、とんでもない誤まりとして批判する。
以来、修正主義者という罵倒語が裏切り者といった気分をもって使われてきた。
要するに、マルキスト連中のお家騒動用語と化した。
例えば、毛沢東は中華人民共和国建国後、独裁者として君臨したが、大躍進政策の失敗で失脚。
その後、文化大革命を起こして復活した。
そのとき、最高権力者の劉少奇を引き摺り下ろすスローガンが「打倒修正主義者」であった。
事実、毛沢東は共産主義信奉者、劉少奇は現実主義的で修正社会主義的であった。
という話で分るように、なんのことはない、権力闘争用語でもあるのである。
つまり、どこかに絶対〈正〉なるものが存在し〔と無理やりでっちあげ〕、その前には文句を言わず平伏せよ、というわけである。
だから、その絶対〈正〉に疑いを持ったり、別の〈正〉を唱えたりするのは、修正主義者であると罵倒し、罪とする。
当然、その思想を改めさせるため、政治収容所や労働改造所に送りこむ。
もちろん、その先は悲惨な労働改造、思想改造の日々、そして孤独な死あるのみ。
北朝鮮の実情がそれを物語って余りある。
さて、話が飛んで現代日本。
右のような事情を知ってか知らずか、それは知らないが、マルキシズムの業界用語を一般用語に持ちこみ、しかも「歴史」をくっつけ「歴史修正主義」と称して使いだした。
世間知らずの連中である。
歴史において、何か知らないが「正しい歴史」なるものがあり、それを守らなければならないのだ、それ以外はダメとケチをつけるのが出てきた。
それは許さぬ、歴史修正主義は許さぬと息巻いている。
となると、二つの問題点が出てくる。
まず一つ。
修正主義延(ひ)いては歴史修正主義も、一般用語ではない。
共産・社会主義者がマルクス主義を絶対〈正〉とするのは勝手だが、一般性はない。
だからまずその絶対〈正〉を確定するため、共産・社会主義者ら左筋業界内で存分に喧嘩をおやんなさい。
それが筋。
それをなんと、矛先を保守派に向けてくるのは御門違い。
先ごろ帰土した高倉健風に言えば、左筋のあんさん、まちがってやしませんか。
死んで貰いやす。
背中の赤旗泣いている。
果ては網走、番外地。
もう一つは、「修正」ということば自体だ。
一般社会へ打って出るとなれば、一般用語として使えなくてはならない。
しかし、「修正」とは「まちがった行いを正しくする・身が修まり正しくなる・正しいありかたを修め身につける」といった、悪いところを正して良くなるという語感である。
となると、左筋の連中の意図と正反対。
それが厭なら「修正」でなくて「改悪」と称すべきではないのか。
では、歴史改悪主義―こう表現した瞬間、自己崩壊する。
なぜなら、歴史を特定化し固定し、歴史に対する自由な研究・解釈・論評、延いては学説や思想の自由を否定するファシズム宣言となるからである。
古人曰く、盛の衰ある、生の死あるは、天の分なり、と。
盛の〔向う先に〕衰〔が〕ある、生の〔変じて〕死あるは、天の分(自然の法則)なり。
『晏子春秋』外篇二