朝日を弁護する偽善者たち。公平報道を装う者たちの欺瞞。

2019年5月3日に書かれた本稿は、朝日新聞を擁護する新聞記者やフリーライター、いわゆる進歩的文化人の言説を批判し、彼らが唱える「公平報道」や「事実に忠実なジャーナリズム」の欺瞞を鋭く暴いた論考である。
歴史において解釈なき事実は存在しないことを示しつつ、反安倍、反自民、反保守の立場を隠して公平を装う知識人たちの偽善を告発している。

2019-05-03
ジャーナリズムは、事実に忠実であり公平な報道をすべきであると主張。
馬鹿も休み休み言えと言いたい。

朝日を弁護する偽善者たち
いま朝日新聞はめった打ちに遭っている。
これまでのデタラメ報道という身から出た錆とは言うものの、こういうときこそ、朝日御用達の進歩的文化人(もう古語となったが)は、朝日のために弁疏これ努めるべきであろうのに、姿も見せない。
中国は古代、こういう話がある。
鄭当時という人物が政府高官であったとき、彼に会うため門を埋めつくすほど多くの人々が訪れてきた。
ところが、彼が失脚するとだれも寄りつかない。
その門前に来るのは雀ばかり。
それもあまりに多かったので、門前に網を張って捕えられるほどだった。
それを『史記言鄭当時伝の賛〔意見〕は「門外、雀羅(雀取りの羅)を設くべし」と評した。
後に、この人物が復職すると、またぞろ人がやってきたので、彼は門にこう大書したという。
「一貫一銭、〔それによって人間の〕交情(本心)すなわち見(現)はる」と。
人の世とは、そういうものである。
逃げ散った進歩的文化人に替わって、いま朝日弁護に努めているのは、青木理(おさむ)をけじめとする他社の新聞記者やフリーライターらである。
彼らの主張はほとんど同じだ。
すなわち、先ずは「朝日の行為はよろしくない」と批判する。
そこまでは、『月刊Hanada』や『正論』や産経新聞等と同じである。
しかし、その後はまったく異なる。
上記諸誌らは、世界に向かって日本国ならびに日本人の〔朝日に由って〕貶められた名誉回復に努力せよと要求しているが、彼らはそうではなくて、二大特徴をもってこう論じてゆく。
まず第一特徴。
慰安婦問題という人権問題が残っている。
それの歴史的検証や歴史研究は必要である、と。
冗談もほどほどにするがいい。
世のいわゆる〈女郎〉(「いわゆる」と言っておかないと騷ぐ連中がいる)の歴史は、それこそ太古の昔から始まって今日に至っているのであって、もちろん今後もなくなりはしない。
いわゆる女郎のいない国家がもしあるならば明示してみよ。
できるのか。
できないではないか。
なぜいわゆる女郎が今もってなくならないのかという問題は、人権や貧困や無知といった、それこそ上から目線の凡庸な理由では、逆さになっても解けない人間存在の暗い〈性〉の深淵があるからである。

のみならず、歴史研究者において、いわゆる女郎の研究などは、三流どころの研究者のテーマにすぎず、一流の研究者はまず扱わない。
そういう現実はどうなるのか。
第二の特徴。
ジャーナリズムは、事実に忠実であり公平な報道をすべきであると主張。
馬鹿も休み休み言えと言いたい。
人間の歴史において、解釈の加えられていない事実など存在しないからである。
例えば、火山の噴火があったときさえ、いわゆる事実だけを報道することはありえない。
ヘリコプターから地上の遭難者について叙述している新聞にこういう文があった。
救けを求めている手が震えていた、と。
しかし、震えるという動作は、ふつうは至近距離でないと分らない。
それがどうしてヘリコプター上から分るのか。
そのヘリは、もちろん救難ヘリではない。
報道ヘリなので相当に高いところにいるわけで、手の震えなど見えるはずがない。
にもかかわらず、震えていたと書くのは記者の想像あるいは固定観念の下、〈遭難者は恐怖に震えている〉という解釈を加えているからだ。
噴火においてさえ解釈を加えるのである。
まして歴史上の事柄において解釈の加えられていない事実(結果としては資料)などはない。
事実に解釈を加える-それは〈意味づけ〉ということであって、人間の歴史はすべてそれによって成り立っている。
万古不変の公平などという客観性を有する歴史事実など、存在しない。
事実、朝日擁護の知識人やジャーナリストらの姿勢は一律に反安倍、反自民、反保守…であり、己れ自身がすでに公平でないのに、さも公平でありげに言う。
偽装の偽善者どもと言うほかない。
古人曰く、正直とは、道に順ひて行ひ、理に順って言ひ、公平無私なるなり、と。

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