朝鮮語の貧しさと「創氏改名」の本質—言葉を捨てた民族が失ったもの
2019年6月9日付の論考。
朝鮮における言語の貧しさ、漢字・漢語依存、諺文の成立、日本によるハングル普及を通して、言葉を捨てたことが文化に与えた深刻な影響を論じる一篇。
名前、語彙、教育、文化形成の問題を通して、朝鮮半島の歴史的特質を鋭く抉り出している。
2019-06-09
今の朝鮮人の名前は「支那風の名前」であって、千年くらい前に彼らはとっくに「創氏改名」していた。
この「言葉を捨てたことによる弊害」を、こういう例で言うことができる。
以下は前章の続きである。
「哀号」と泣く不自然さ
朝鮮を語るうえで重要なのは、“言葉の貧しさ”だ。
これも日本とは大きく違う。
「華夷秩序」の中にあった朝鮮の唯一の文化は「中華の真似事」だった。
漢字を入れ、漢語を入れて、それを大事にしすぎたあまり、朝鮮オリジナルの言葉をほとんど失ってしまった。
これは世界でも珍しいケースと言える。
例えば、フィリピンは、スペインに占領されてスペイン語を教えられ、アメリカに占領されて英語を教えられても、自分たちの言葉であるタガログ語を捨てなかった。
朝鮮民族は、支那という隣の国に文化的侵食を受けるや、自分の文化を自らすすんで全部捨ててしまった。
その結果、今はオリジナルの言葉がほとんど残っていない。
昔の人がどんな名前をつけていたのかもまったくわからない。
今の朝鮮人の名前は「支那風の名前」であって、千年くらい前に彼らはとっくに「創氏改名」していた。
この「言葉を捨てたことによる弊害」を、こういう例で言うことができる。
例えば悲しいとき、日本人であれば「悲しい」と表現するだけでなく、「わーんわーん」とか「えーんえーん」とか「めそめそ」といったように、表現方法がいろいろある。
しかし、彼ら朝鮮人は、泣くのも漢字で泣く。
どう泣くか。
「哀号、哀号」と泣く。
これはおかしい。
なぜなら、「哀号」は、「泣き叫ぶこと、またその泣き声」の意味だ。
つまり彼らは、「泣き声、泣き声」といって、泣いている。
日本語の「めそめそ」も「しくしく」も「わあわあ」も、どれ一つ表現できない。
本来あったオリジナルの言葉も失ってしまって、語彙が絶対的に不足している。
「ありがとう」というのも、「感謝」という、漢語の言い回しで代用している。
筑波大学の古田博司教授が、朝鮮古語を一生懸命に掘り起こしているが、見つかったのは180語に過ぎない。
朝鮮人は言葉に非常に不自由している。
文化は言葉がないと育まれない。
だから朝鮮には文化がまったくないとも言える。
15世紀になって、李氏朝鮮の4代目国王・世宗が諺文(ハングル)をつくった。
漢字ばかりでは教育が普及しないので、日本の仮名を真似て考案したのだ。
しかし、あまり広まらなかった。
漢字・漢語を権威として使っていた支配階級である両班が抵抗したからだ。
文字が身分とリンクしていたから、識字率は低かった。
それで福沢諭吉が、門下生の井上角五郎を朝鮮に派遣して、ハングル語普及に尽力させた。
韓国併合後は、朝鮮総督府が小学校を建てながら、「普通学校用諺文綴字法」(1912年)という正書法をつくってハングル語を普及させていった。
ハングルは日本人が定着させたのだ。
しかし、それにしても語彙が足りない。
そもそもハングルのベースになっている支那の言葉も語彙不足だったため、支那は近代社会の概念に対応できず、日本から「民主主義」や「共和主義」や「社会」「株式会社」といった言葉を輸入している。
まして、支那の漢字をベースにした文化である朝鮮の文化においては、さらに語彙が足りない。
韓国人は短気で、かっとなりやすいとよく言われるが、それは語彙不足による、「意思が伝わらないもどかしさ」が根底にあるという言語学者もいる。
この稿続く。