何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。

以下は、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之が本日発売された週刊新潮に連載している名物コラムからである。
今週号の論説も、私の彼に対する評が全く正しい事を見事に証明している。

随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江…彼については、故人を悪くは言いたくないが(下記の高山正之に倣って言えば)村上等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も見事に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。

国恥の民
テヘランの上の方、ニアバランの旧王族の屋敷を覗く機会があった。 
応接間の一隅が外に張り出すアルコーブになっていて洒落たテーブルが置かれていた。
ホメイニ師が出てくるまではそこで阿片を楽しんだという。 
よき時代にはいい薬でもあった。 
仁丹状にした生阿片を耳の後ろに擦り込むとどんな酷い頭痛も嘘のように飛んでいった。 
阿片はそうやってイランの日常に溶け込んでいた。 
それを英国が支那に持ち込もうとしたら満洲人の清朝が血相変えて拒んだ。 
なぜなら支那人(漢人)には自制心がない。阿片など覚えたらマタタビを嗅いだ猫になってしまう。 
しかしそんなお上の配慮も漢人には通じない。
香港沖でこっそり英国船と直取引して持ち込んだ。 
阿片禍は広がり、阿片戦争前には中毒患者は200万人にも達した。 
その戦争も悪い英国が勝って阿片は自由化され、香港島まで取られた。 
密貿易の旨みを失った漢人は自分で芥子を育て始めた。
産直一貫を狙った。 
一方、吸飲者は清朝が心配したように日清戦争前には人口の5%、2000万人にも及んだ。 
それも凄いが、その需要を賄ったのはジャーディン・マセソンやラッセル商会ではなかった。  
漢人の組織、青幇などが格安の国内産で割って入り、外国勢を追い出してしまったのだ。 
そういう反社会性分野では漢人は妙に強かった。 
支那の歴史を見ると外来民族が国を建て、漢人はその奴隷にされ続けた。性格の悪さの原因という。 
五胡十六国時代、漢人と同居した夷狄は破廉恥な行いを「漢人みたいだ」と蔑んだ。「そこから悪漢、痴漢、無頼漢といった言葉が生まれた」と須山卓長崎大名誉教授は言う。 
清朝も印象は同じで満洲人と漢人の通婚を禁じ、西施みたいな美女がいても決して後宮に入れなかった。 
そんな漢人がこと阿片になると凄まじい才覚を見せた。
実際、青幇は中毒性の高いヘロイン精製にも乗り出して簡便な精製技術を開発し、世界の麻薬界に躍り出ている。 
欧州産の褐色のヘロインに対しチャイナホワイトのブランド名まで持つ。 
今では「もはや芥子は時代遅れ」と言って合成麻薬フェンタニルを手掛ける。 
ヘロインの50倍の効きめを持ち、米国ではその過剰摂取が元で毎年3万人が死んでいる。 
米政府は支那の四つの化学企業と役員8人に逮捕状を取り、先日のブリンケン・王毅会談でもこの支那産の麻薬が主要議題だった。 
裏社会に限れば漢人は異能の民と言える。 
支那人学の泰斗、樋泉克夫は著書『満腔、香港』の中で植民地香港の民について「支配されながら支配する」才能を紹介している。 
それはそっくりそのまま5000年の歴史の大方を支配されてきた漢民族にも当て嵌まりそうだ。 
今、その漢民族は珍しく中共という王朝を建てて支配側に立つが、例えば阿片戦争について習近平は「百年国恥」の筆頭に挙げる。 
しかし阿片問題では清朝が禁じたのに漢人がもっぱら密貿易の片棒を担ぎ、阿片戦争中も英側に味方した。 国の恥を哂したのは漢民族ではなかったか。 
習近平はまた国恥に日清戦争も入れる。 
敗北の原因は西太后が戦費を頤和園造りに流用したからと非難する。 
しかし西太后は7000㌧級大型戦艦「定遠」「鎮遠」に最新の巡洋艦「広甲」「済遠」も買い与えている。 
漢人士官の養成も惜しまない。方伯謙ら多くが英海軍大学に留学している。 
同時期に英国に留学した東郷平八郎は海軍大学ではなく商船大の予備校に入れられた。 それで黄海海戦に臨むと「済遠」艦長の方伯謙は前代未聞の敵前逃亡をやった。 
ために支那側の陣形が崩れて大敗し、丁汝昌提督は阿片をあおって自殺した。 
西太后はよくやった。漢人士官がダメだっただけだ。 
国の恥は習さん、あなたの漢民族だったのでは。

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