河野談話は「日韓合作」だった
2019年10月29日発信。
阿比留瑠比氏の論考をもとに、河野談話の作成過程を検証する。
産経新聞が入手した外交記録文書や外務省内部文書を通じて、河野談話が日本独自の文書ではなく、韓国側との綿密なすり合わせを経た「日韓合作」であったこと、そして朝日新聞が河野氏の主張を無批判に広めた問題を論じる。
2019-10-29
つまり河野氏は朝日のインタビューに対して二重の嘘を述べて自己正当化を図り、そしてそれを朝日は無批判に喜々として垂れ流してお先棒を担いだということになる。
以下は前章の続きである。
河野氏と朝日は’同じ穴の狢’
また、河野氏は次のように述べて談話は日本独自で作成したものだと主張し、日韓ですり合わせされていたのではないかとの疑問を明確に否定している。
「談話の発表は、事前に韓国外務省に通告したかもしれない。その際、趣旨も伝えたかもしれない。しかし、この問題は韓国とすり合わせるような性格のものではありません」
だが、これも産経新聞が25年末に入手した外交記録文書によって事実ではないことが明らかになった。
それによると、日韓両政府は談話の内容や字句、表現に至るまで発表の直前まで綿密にすり合わせていた。
例えば談話の原案では「慰安婦の暮集については、軍の意向を受けた業者がこれに当たった」とある部分について、韓国側は「意向」を強制性が明らかな「指示」とするよう要求した。
日本側が「軍が指示した根拠がない」として強い期待を表す「要望」がぎりぎりだと投げ返すと、韓国側は「強く請い求め、必要とすること」を意味する「要請」を提案し、最終的にこの表現を採用した。
まるで日本政府という生徒が提出した答案を、韓国政府という先生が真っ赤に添削してやり直しを命じるようなことが繰り返された末、できたのが河野談話なのである。
それどころか、河野談話と同時に発表された政府の慰安婦に関する調査結果報告(公式事実認定)すらも、韓国の修正要求を大幅に受け入れて作られていた。
いわば「日韓合作」だったのである。
一例を挙げると、「慰安所の経営および管理」の項では、原案の「(慰安婦は)自由な境地とはほど遠いところにあった」という記述について、韓国側が「自由もない、痛ましい生活を強いられた」と書き換えるよう求め、日本側はそのまま受け入れた。
つまり河野氏は朝日のインタビューに対して二重の嘘を述べて自己正当化を図り、そしてそれを朝日は無批判に喜々として垂れ流してお先棒を担いだということになる。
河野氏の行為は国民を裏切ったものだともいえる。
河野氏は朝日のインタビューで「史実に正確かどうか、が大事だと思う」とも語っているが、自分は虚言で史実を歪めようとしてきたのではないか。
本来なら、河野氏にこれだけ真っ赤な嘘をつかれた上に、それを紙面に大きく掲載して恥をかかされたのだから、朝日は河野氏に抗議して、記事を訂正し、読者にお詫びを述べるのが普通だろう。
ところが朝日は、産経新聞の報道を無視して自ら裏を取ることもしなかった。
その後、政府による河野談話の作成過程検証により、産経報道が事実であることが公的に明らかになっても、河野氏と蜜月を続けている。
同じ穴の狢という言葉を思い出す。
河野談話発表翌日の平成5年8月5日付の朝日新聞は、このあたりの事情をこう書いている。
「聞き取り調査が終わった7月30日夜、ソウルで田中耕太郎・内閣外政審議室審議官は『(元慰安婦の)記憶があいまいな部分もあり、証言の内容をいちいち詳細に詰めない。自然体でまるごと受け止める』」
当時の宮沢喜一内閣はただただ早期の政治決着を急いでおり、事実関係の追及や真相の究明など二の次たったことが分かる。
とにかく韓国側と波風立てないよう、言われるままに何でも受け入れるというわけである。
当然、政府のそうした姿勢は、この問題を取材していた朝日記者には分かっており、それを記事にもしているのである。
この点に関しては、産経新聞が平成26年に入手した、外務省が河野談話発表の半年前にあたる5年2月に作成した内部文書でも、同様の見解が記されている。
それには元慰安婦への聞き取り調査に関してこう記されていた。
「必要最小限な形でいわば儀式として実施することを検討」
初めから「儀式」として想定させており、事実関係などどうでもよかったのだろう。
そんなものを根拠とする河野談話で痛めつけられ、縛られてきた国民はいい面の皮である。
この稿続く。