言葉への尊敬心を失った日本のインテレクチュアルズ
2019年11月6日発信。ハンナ・アーレント『全体主義の起源』がヨーロッパでは1960年代末にソ連邦滅亡の黙示的預言を告げていたにもかかわらず、日本の知識界はその深刻な意味を読み取れなかった。西洋の思想書とその批判書を同じ地平でもてはやしてしまう日本のインテレクチュアルズの目利きの欠如、そして言葉に対する尊敬心の必要性を論じる。
2019-11-06
日本のインテレクチュアルズというか、日本人全体というか、われわれには、それほど目利きの力がないのだ。
西洋人の書いた物ならば、その本も、その批判書も、同じ地平でもてはやしてしまう。
以下は前章の続きである。
*~*は私。
言葉に対する尊敬心を持とう。
それで結局、ソ連邦滅亡の黙示的預言は告げられなかったのだと一旦は思ったのだが、本稿冒頭をもう一度見返してほしい。
ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』第3巻は、訳書は1981年だが、原書の刊行年は1968年だった。
ということは、ヨーロッパでは60年代末に、すでにソ連邦滅亡の黙示的預言は告げられていたのだ。
だが日本では、誰も反応しなかったということである。
訳本は、夫久保和郎・大島かおりという二人の翻訳家によってなされた。
ハンナ・アーレントの同書はその後、左翼により『資本論』という聖書の副読本のようにもてはやされていく(世の常のように聖典の方は往々読まれていない)わけだが、そこに盛られているいろいろな毒の方はみな解毒されてしまった。
というか、彼らには気づかれなかった。
日本のインテレクチュアルズというか、日本人全体というか、われわれには、それほど目利きの力がないのだ。
西洋人の書いた物ならば、その本も、その批判書も、同じ地平でもてはやしてしまう。
ぜんぜん深刻さに欠けている。
黙示的預言のようなロゴスには、人の人生(私のように)を変えてしまうような力があるのだ。
冷戦期、社会主義陣営についてしまった日本のインテレクチュアルズの先見の失敗については、稲垣武『「悪魔祓い」の戦後史』(文藝春秋)がある。
リアリティのある良書で、日米戦争の先見の失敗を描いたのが戸部良一、村井友秀、その他『失敗の本質』(中公文庫)だとすれば、これは冷戦期、社会主義陣営についてしまった者たちの失敗の本質をある程度突いている。
だが、残念なことに知性の輝きがない。
悪罵が多く、悪罵は往々悪意がなくとも悪意ととられることが分かっていない。
*私はこの個所を読んでいて私の橋下徹の言動に対する批判に通底していると感じたのである*
あとがきに「この論稿の目的は、彼ら『悪魔の祭司』たちを、その生まれ故郷である魔女の大鍋にお引き取り願うところにあった」とある、この品格のない、まがまがしい投げつけはいったい何なのか。
これは、この本の編集者の知性と同類である。
後略。