「自由」を削ろうとする勢力――韓国の自由民主主義を脅かす低級な精神文化
2019年11月27日発信。
李栄薫『反日種族主義』エピローグの続きとして、韓国の歴史学界と文在寅政権支持勢力が憲法から「自由」を削除しようとした問題を論じる。
「自由民主主義」と「人民民主主義」「新民主主義」の違いを明確にし、自由を敵視する政治勢力が韓国の自由民主体制を危うくしている現実を指摘する。
2019-11-27
悲しいことに、この国の自由民主体制はこの国の低級な精神文化が管理できる力量外の贅沢品だ、という考えを拭い去ることができません。
以下はエピローグの続きである。
見知らぬ異邦人。
何年か前に歴史学界は、この国の政治体制は「自由民主主義」である、という通説を否定し、「自由」の二文字を削除しなければいけない、と主張しました。
2017年、ロウソク革命で政権を取った文在寅大統領と彼の支持勢力は、憲法から「自由」を削除する改憲案を準備しました。
世論の反発激しく、撤回するにはしましたが、条件が整えばまた推進する意思を隠さずにいます。
彼らは「自由」に対し敵対的です。
自由を個人の軽薄な利己心だと考えています。
「自由理念を受け入れた旧韓末(韓日併合前の大韓帝国末期)の開化勢力は、その後親日派に変身し、解放後彼らは、既得権を守るため新しい帝国主義国アメリカにくっついた。
そうやって造られた国が大韓民国だ。
今も自由云々と言っている者たちは軽薄な個人主義者であり、親米、親日の後裔たちだ」。
現執権勢力の自由に対する理解は、大まかに言って、このようなものです。
私はいろいろな歴史関連学会の会員です。
たくさんの学会誌に論文を掲載して来ました。
歴史学者たちは私の同僚でした。
執権勢力との関係も彼らと同様でした。
1971年、私は朴正煕大統領の学園弾圧に抵抗し、大学から追放されました。
いわゆる「民主化勢力」のメンバーシップの保有者です。
私は彼らの主義と主張を内面において理解して来ました。
しかし「自由」を削除しようという主張に接し、私ははっきりと目覚めました。
彼らは私の同僚ではない、見知らぬ異邦人である。
いえ恐ろしい異教徒である。
他の人々の霊魂を否定し冒涜する異教徒とは、共和を成すことはできません。
「民主主義」ほど誤解され誤用される言葉もないと言われます。
もともとデモクラシーdemocracyを「民主王義」と翻訳したのが大きな誤りだったという指摘もあります。
その反対語であるオートクラシーautocracyを「専制政治」と翻訳したように、「民主政治」または「民主制」とすべきだったと言うのです。
民主主義は、多数決の原理によって集団の意思を決定したり、権力機構が形作られる政治過程を機能的に代弁したりするに過ぎません。
それで、世界で一番民主主義が発達したアメリカの憲法にさえ「民主」とか「民主主義」という言葉がありません。
隣の国日本の憲法を見ても同様です。
それと違ってこの国の憲法に「民主」や「自由民主」という言葉が何度も出て来るのは、実は民主主義が何なのかよく分かっていなかったためです。
民主主義というのは、利害関係が違う個人を国家という秩序体に統合し、さらには繁栄と平和に導く、という政治哲学ではありません。
そのような水準にある大きな理念は、まさに「自由」です。
したがって、自由民主主義のほかに我々が指向する本当の民主主義はありません。
政治学者たちは民主主義を権力の様態によって、大統領民主主義、議会民主主義、社会民主主義、参与民主主義、権威主義等と区分しています。
しかしその全ては、自由民半王義から派生したものです。
「自由」の削除を主張する人々は、我々の行く道はドイツや北欧の国々のような社会民主主義であって、自由民主主義は必要ない、と主張しています。
彼らは、今日のドイツや北欧諸国の政治体制がどれほど強固な自由民主主義なのか理解できていません。
彼らは、国ごとに文化の差によって生ずる政府と市場形態の差を、人間と社会を統合する理念の差と誤解しました。
世界史を振り返ると、民主主義を詐称する勢力がありましか。
プロレタリアート階級独裁を民主主義であると騙した共産主義勢力です。
彼らは、労働者・農民の勤労階級が主導する政治体制を「人民民主主義」または「新民主主義」と呼びました。
今日の北朝鮮の世襲王政体制が「朝鮮民主主義人民共和国」を袮しているのが、そのいい例と言えます。
共産党が支配する中国も同様です。
中国の国家理念である毛沢東主義によると、今日の中国の政治体制は新民主主義です。
したがって歴史上民主主義は、大きく言って自由民主主義と人民民主主義または新民主主義しかありません。
前者が真の民主主義なら、後者は偽の民主主義です。
そのような真と偽の対立は、我々の韓国史において模範事例として繰り広げられて来ました。
大韓民国の自由民主主義が真の民主主義なら、北朝鮮の人民民主主義は偽の民主主義です。
ところが、この国の歴史学界と現執権勢力は、我々の憲法が明示する「自由民主的秩序」から「自由」の二文字を削除しよう、と主張しました。
彼らは、自由が抜け落ちた民主主義が何なのか分からないほど無知です。
これは、それこそ善意の解釈かもしれません。
彼らの一部は、「自由」を削除した民主主義であってこそ民族史の正統を継承した北朝鮮の人民民主主義と統一することができると考えています。
このような推測は、現執権勢力と支持勢力の言行を見ると、事実である可能性が大です。
どうしてこの国は、こんな状況になってしまったのでしょうか。
悲しいことに、この国の自由民主体制はこの国の低級な精神文化が管理できる力量外の贅沢品だ、という考えを拭い去ることができません。
この稿続く。
