テレビという困った媒体――古田博司「嘲弄する預言者」が射抜くマスコミ偽善
2019年11月28日発信。
月刊誌WiLLに連載されている古田博司氏の「たたかうエピクロス」第六回から、テレビという媒体が「キレイ所」や「キレイ事」を必要とし、現実の複雑さを描けない構造を論じる。
加地伸行氏『マスコミ偽善者列伝』にも通じる視点から、PC化する近代の「善い人」たち、ヘーゲル・マルクス的思考の残滓、そしてエルヴェシウスの嘲弄的洞察を紹介する。
2019-11-28
テレビは困った媒体である。
キレイ所やキレイ事を揃えないとそもそも絵にならない。
「そうじゃない人」たちの話は、ドキュメントとか、ドラマ最後の崖の上の情でくくるしかない。
当代最高の学者の一人である古田博司氏は月刊誌WiLLに、たたかうエピクロス、を連載している。
以下は一昨日発売された月刊誌WiLLに、第六回、万物は偶然でもぜんぜん大丈夫、必然こそ悪である、と題して掲載された論文からの抜粋である。
最後の箇所で私は大笑いした。
嘲弄する預言者。
テレビは困った媒体である。
キレイ所やキレイ事を揃えないとそもそも絵にならない。
「そうじゃない人」たちの話は、ドキュメントとか、ドラマ最後の崖の上の情でくくるしかない。
その結果、「必然の悪」はどんどん増えていき、加地伸行先生の『マスコミ偽善者列伝』(飛鳥新社)の筆はますます冴える。
こうして近代の「善い人」たちはテレビに跼蹐(きょくせき)し、根っこがヘーゲル・マルクスの汚水に浸かったまま、自らを守るためにPCの牙城と化す。
善い人たちもいる。
わたしに出演依頼してくる人は、人を探している。
だが、私が「キレイ事は言わないから絵にならないよ」というと、みな尻込みする。
「先生の次くらいの人いませんか」と、聞いてくる。
笑い話にもならない。
でもわたしは、若い頃にカンボジアの川で死ぬほどうまい川エビを食べ、その毒が今頃まわり、過敏性大腸炎でどのみち出演できない。
原始の川のものは食べない方が良いという教訓だ。
今回は18世紀のフランスの快楽主義者エルヴェシウス(1715-1771)のように、少しへらへらッとして語ってみた。
エルヴェシウスは、当時のスコラ神学者や王権神授説の王朝から激しく弾圧され、恐れと失望の苦を減らすため故意に筆で嘲弄する。
「文明国において、バカが人間の通常の状態であるのは、それは伝染性の教育の結果であり、ニセ学者に教育され、バカげた本を読まされるからだ」
(『人間論』図書出版、1966年、18頁)。
当たっているではないか。