朝日新聞の劣悪化を示す初歩的誤記――「効率」が「公立」に、「協調」が「強調」に
2020年1月28日発信。ハンセン病家族訴訟をめぐる朝日新聞の大誤報に続き、同紙面で「効率」を「公立」、「協調」を「強調」と誤記した訂正記事を取り上げる。新聞制作における記者、デスク、整理、校閲という多重チェックを経ても初歩的な誤りが紙面に載った事実を、朝日新聞の構造的な劣悪化の表れとして批判する。
2020-01-28
そんな厳重なプロセスを経ても、「効率」が「公立」と誤記され、「協調」が「強調」になるミスが起きて、紙面に載るまで朝日新聞側の誰も気がつかない。
以下は前章の続きである。
ミスに表れた劣悪化
朝日新聞は当然、七月十日付朝刊に「誤った記事おわびします」という見出しの訂正記事を同じ一面に載せていた。
その訂正は「政府が控訴して高裁で争う方針を固めたと報じたのは誤りでした」と記していた。
その誤報の取材の説明なる記事が二面に掲載されていた。
《朝日新聞は政治部、科学医療部、社会部、文化くらし報道部を中心に、政府がどう対応するのかの取材を始めました》《(そして政府は控訴するという見通しがあるとみて)首相の意向を知りうる政権幹部に取材した結果、政府が控訴する方針は変わらないと判断しました》
以上の説明にはさらに驚いた。
朝日のこの大ミスは単に一人や二人の記者の勘違い、判断違いでもなく、事故的なミスでもなく、編集局全体をあげての集団的な取材をしたのに、なお根本から間違ってしまったと、開き直るように述べているからだ。
この主張は外部からみれば、この大誤報は朝日新聞自体の間違い、つまり朝日新聞の構造的、体質的な特殊性の産物だという自認のように響く。
朝日新聞社全体を挙げての取材万法や判断そのものが誤りだったことを認めているに等しいからだ。
さらに、そのうえのショックがあった。
同じ七月十日朝刊の第三十四面に載っていた別の訂正記事だった。
この訂正は前日の七月九日朝刊に掲載された二つの記事のなかの記述のミスのおわびだった。
その内容は以下だった。
《「行政が適正かつ公立的に運営される」とあるのは「行政が適正かつ効率的に運営される」の誤りでした》《国際社会と緊密に「強調し」とあるのは「協調し」の誤りでした》
以上は些細なミスといえるだろう。
だがあまりに初歩的、基礎的な誤りである。
いずれも小学生レベルのミスである。
どの新聞社でもニュース記事は短くても、長くても、記者が書き、デスクが目を通す。
同じ記事を整理と呼ばれる編集者がさらに点検して見出しをつけ、できあがった見出しつきの記事はさらに校閲がチェックをする。
これはいかにインターネットやハイテクが導入されてもなお新聞作成の基礎だろう。
そんな厳重なプロセスを経ても、「効率」が「公立」と誤記され、「協調」が「強調」になるミスが起きて、紙面に載るまで朝日新聞側の誰も気がつかない。
しかも一面トップの記事が大誤報に終わったという同じ日に、そんなミスが同時に起きる。
いくら人間にはミスがあるといっても、私の長い新聞記者体験からは考えられない現象だと実感した。
朝日新聞はついにこんな水準にまで劣悪化してしまったのかと、唖然としたのだった。
この稿続く。