ウイグル人は地上から消えなければならないのか――中国人権弾圧の絶望の慟哭
2020年2月3日発信。
月刊誌「正論」に掲載された在日ウイグル人グリスタン・エズズ氏の論文を取り上げ、東トルキスタンにおける中国共産党によるウイグル人弾圧、再教育施設という名の強制収容所、家族との音信不通、弟の連行、そして日本人が自国の問題としてウイグル問題を考える必要性を訴える。
中国による民族抹殺、人権弾圧、北海道など日本国内への影響にも言及し、中国共産党政権の危険性を警告する。
2020-02-03
そんなに私たちは生きるに値しない民族なのか、私たちウイグル人が地上から消えていなくなれば中国人は満足するのか…とまで考えてしまいます。
2/1発売の月刊誌正論も日本国民のみならず世界中の人達が必読の書です。
特に、特集 中国人権弾圧 絶望の慟哭、家族全員が音信不通になっても私は証言し続ける、と題して掲載された在日ウィグル人グリスタン・エズズさんの論文を読んで、慟哭しない日本人は一人もいないだろう。
これを読んでも何一つ声も上げないような報道関係者がいたら、即刻、廃業しなければならない。
日本人は全員900円を持って最寄りの書店に向かうべし!
今、私の故郷、東トルキスタン(中国・新疆ウイグル自治区)では百万人以上のウイグル人が「再教育施設」という名の収容所に閉じ込められています。
私の弟も二年以上も前から、収容所に送られて全く消息が分かりません。
さらに昨年春以降、現地にいる家族全員と連絡が取れなくなってしまっています。
いったい私の家族に何が起きたのか。
私はこれからも、動画などを通じて訴え続けていくつもりです。
強まる中国人による弾圧
私は一九八四年にクチャという町に生まれました。
小学校三年生のときに自治区の中心都市、ウルムチに引っ越し、そこで九七年に弟のアスカル・ベキリが生まれました。
ずいぶん年の離れた弟でしたので、弟を中国語で教育する幼稚園に入れよう、という話になったとき、私か弟の幼稚園探しや手続きをしたくらいです。
なぜ弟を中国語の幼稚園に入れようということになったかといえば、中国語のできないウイグル人は中国人からだけではなく、中国語を話せるウイグル人からも見下されるという差別があったからです。
私は子供のころ、ウイグル語で授業を行う小学校に通いましたが、毎日一コマだけ中国語の授業がありました。
当時はまだウイグル語での教育が行われていたのですが、二〇一一~一二年くらいからは、現地の学校の授業もすべて中国語で行われるようになってしまったそうです。
それから私が子供のころ、学校では定期的に信仰している宗教を聞かれるアンケートがありました。
学校の先生が「無宗教ということにしておいたほうがいい」と助言するので、イスラム教を信じている私たちは皆、「神様許して…」と心の中で言いながら「何も信じていません」と記人したものでした。
そのころから中国人のウイグル人に対する差別はありましたが、中国人が何をしようが関係なく、ウイグル人は自分たちの生活を送っていました。
私たちはもともとおとなしく従順な民族です。
そうでなかったら中国はこのように何十年も東トルキスタンを支配することはできなかったでしょう。
ウイグル人がテロを行ったなどと言われますが、いくらおとなしい人でも殴られれば抵抗するでしょう。
そのように、テロとされるものの大半は中国人による自作自演だったのです。
一九九七年に起きた、北西部クルジャの街で平和的なデモを当局が弾圧し、数百人の死者が出たとされる「クルジャ事件」では、若い男性が多く殺されてしまい、ウイグル人女性の結婚相手が見つからなくなってしまったほどでした。
そして、現地に住んでいることが耐えられなくなった親たちが一気にウルムチに流れ込みました。
そのため、ウルムチでは地方から来たウイグル人を密集して住まないようにさせる政策が採られました。
そして二〇〇九年七月五日のウルムチでの事件は、大きな転機になりました。
罪なきウイグル人を大量虐殺したことが海外に知れ渡りましたが、中国では電話もネットもすべて遮断した上で弾圧が行われますから、同様の虐殺でも二ユースにならず明るみに出なかった事件も多数あります。
ウルムチの事件は、同年六月末に洽岸部・広州の工場でウイグル人の工員が十数人、漢人に集団暴行され殺された事件がきっかけでした。
なぜ警察は集団暴行を止めなかったのか、事件の処理はどうなっているのか、とウイグル人の学生たちが中国国旗を掲げて抗議した平和的なデモを、中国当局は暴乱に見せかけて、夜になるのを待って大量虐殺を始めたのです。
ウイグル人であれば片っ端から捕まりました。
大学で試験があるために、その監督のために大学へ行こうとした先生までが身柄を拘束され、地面に叩きつけられたりもしました。
このときは中国当局から「ウイグル人を無差別に殺していい」との指令が出ており、当局発表だけでも約二百人が殺されています。
また行方不明になって、三~四ヵ月経ってから家に帰ってきたという人も多かったのです。
この事件で、多くのウイグル人は中国人の本当の姿を知ることになり、中国に対する反感は一気に広がりました。
またこの頃から、「三百日厳格取り締まりキャンペーン」などがことあるごとに行われるようになり、武装警察の車両や人民解放軍の戦車などが街中を走り回るようになったのです。
なお私は、日本に留学する夫の家族として二〇〇五年に来日しました。
初めのうちの何年かは専業主婦として忙しかったので実家に戻る余裕がなかったのですが、ウルムチの事件後に中国の弾圧に抗議する日本国内でのデモに参加したこともあり、中国へ戻ったら危険だと考えるようになりよした。
だから私は来日してから一度も、中国には戻っていません。
弟が連れ去られた
そうして二〇〇九年以降、中国によるウイグル人弾圧は強まっていきましたが、まだ当時はウルムチにいる家族とは電話などで連絡することはできていました。
ただ電話は当局に盗聴されているものだと誰もが思っていましたから、家族と電話するときにも当たり障りのない話に終始し、当局に聞かれてもいいように通話の中で「建国記念日おめでとう」「中国万歳」とも言い合っていました。
しかし二〇一七年ころから強制収容所の存在が明らかになって、親族が収容されたりすることで目が覚めた人が増えてきました。
私は強制収容所の話を初めて聞いたとき「まさか中国もそこまではやらないはず。
それに国際社会も黙ってはいないだろう」と思いましたが、収容所の話が明らかになっても国際社会は声を上げず、国連も動きませんでした。
第二次世界大戦のとき、ドイツは戦争の混乱の中でユダヤ大を強制収容しました。
それと同じようなことを、中国は平特にやっているのです。
ウイグル人約百万人が収容されている、といわれていますが、実際に収容されている人数ははるかに多いのではないかと思います。
そうした中で二〇一七年の夏ごろ、二十歳になっていた弟のウィチャット(短文投稿サイト)が更新されなくなっていることに気づきました。
現地にいる家族に聞くと「勉強に連れて行かれた」とのことでした。
それで弟が収容所に連行されたことが分かったのですが、そのときには連行されてから約半年が過ぎていたのです。
もちろん、現地との通話は盗聴されている可能性があるので、立ち入った話はできません。
家族にも「これ以上は聞かないで」と言われ、私も「うん、そうだね」と答えるしかありませんでした。
弟がどこに連れていかれたのかも分かりません。
唯一、分かったのは「友人の誕生日のお祝いに行ってくる」と出かけたきり帰ってこなかったということです。
それから二年以上経っても、弟は帰ってきません。
まだ中国がいうところの「再教育」は終わっていないのでしょうか…。
連れ去られた人への心配、そして恐怖で、残された家族は精神的に追い詰められます。
ウイグル人であるというだけで、理由もなく収容所に入れられたり命を奪われたりする。
そんなに私たちは生きるに値しない民族なのか、私たちウイグル人が地上から消えていなくなれば中国人は満足するのか…とまで考えてしまいます。
私の弟は、自動車整備士になるために日本へ留学する夢を持っていました。
だから「高校を卒業したら、日本へおいで」と待っていましたが、ちょうど彼が高校を卒業したころ、当局がウイグル人に対してパスポートを発行しなくなってしまいました。
近年、ウイグル人に対するパスポートの発行は厳しくなっていますが、それでもしばらく待てば発行が再開される可能性はありましたから、彼には「一、二年待って」と伝えました、それで弟は現地で整備士の見習いをしていました。
家族思いで正義感が強く、優しい弟でしたが今どこでどうしているのか。
目の前が真っ暗になる思いです。
私たちに同情するよりも…
二〇一八年の夏から、スイス在住のウイグル人男性が「家族のために実態を証言しましょう」と提唱している活動に参加して、私も動画サイトで弟のために証言しました。
そうしたら、何日も経たないうちに現地にいる姉のところに警察から「お前の妹は海外にいるのか。
なぜ報告しないのだ」と連絡が来たそうです。
そして、脳卒中の後遺症があって体調がよくない母も警察に呼び出されました。
私は連れ去られた弟が殺されたりしないために証言したのですがそのことによって他の家族にまで被害が及んでしまいました。
こういうことがあるので、多くの在日ウイグル人は表立って弾圧の実態を証言できないのです。
それでも私は証言を続け、一八年末にはNHKの取材も受けました。
それで一時、現地での警察の動きも止まりました。
でも姉は警察の監視対象になり、なかなか私と連絡を取れなくなってしまいました。
その姉が昨年三月に突然、ビデオ電話をかけてきたのです。
驚いて電話に出ると、姉は「お父さんが入院中で、これが最後になるかも知れないから、私も危険を承知で電話をかけた。
お父さんと話して」と言うのです。
姉も自分の身に迫る危険を認識して「どうせ、なるようになる」と覚悟がついたようでした。
腎臓の病気で入院している父は、電話の向こうで泣いていました。
「いつ帰ってくるの?」と聞かれましたが私はいつ帰るとも言えず「明日、手術を受けたら良くなるから頑張ってね」と伝えるのが精一杯でした。
その後、待っていましたが一向に姉からの連絡がないので、四月の十四日に思い切って私から連絡しました。
そうしたら姉が「父は四月七日に亡くなりました。
そのとき知らせようと思ったけれど、あなたも知っているように私は誰とも連絡をしてはいけない人間なので、許して」と言うのです。
だから払も「あなたのせいではないから、うらむようなことはないよ」とに伝えました。
そうした短い会話だったのですが、それ以降、姉とは連絡がつかなくなってしまいました。
姉の電話番号は二つとも解約と停止でつながらなくなっています。
当局の圧力で番号を変更させられたのかも知れません。
ですので家族が今どうなっているのか、まったく分かりません。
分からないことは不安ですし、弟一人を救うために他の家族まで犠牲にしてしまった…と悩むこともあります。
中国当局は私が「国家分裂罪」を犯したと言っていますが、そもそも国家を分裂させたのは中国当局のほうです。
本当に再教育が必要なのは、海外で迷惑行為をしている中国人のほうでしょう。
弟や姉のために私ができることといえば、証言をし続けることしかありません。
もし現地に行ける方がいれば、私の家族がいるかどうか見てきてほしいと思います。
そして無理やり収容されている人たち、無実の罪を着せられて刑務所に入っている人たちを解放してほしい。
これ以上、ウイグル人が死ぬのは避けてほしいと願っています。
私たちに同情してくれとは申しません。
日本の皆さんには、ウイグルで起きていることを自分たちのこととして考えていただければと思います。
ウイグルで行われていることは民族の抹殺であり、これは地球上のあらゆるところに関係する問題でもあります。
日本の国益から考えても、中国の共産党政権は潰す必要があるはずです。
そうしないと、そのうちに“日本自治区”になりかねません。
実際に北海道の土地が中国資本に買い占められて日本人が立ち入れなくなっていたり、中国へ行った日本人が不当に拘束されたりしているのです。
ウイグルで起きていることが日本でも起きつつあります。
日本人は日本を守る観点から、ウイグルで起きていることを放置しないでいただきたいのです。