東大社会学の権威を守りたかったのだろう。東大内の実証主義者たちには不憫なことだった…新しい時代にふさわしい心構えを作ろう 東大文系の権威は地に墜ちた
東大社会学の権威を守りたかったのだろう。東大内の実証主義者たちには不憫なことだった
東大の文系学者は実証研究せずに、権威形成ばかりしてきたと言わざるを得ない。社会学者の見田宗介教授もそうだ
実証主義の学者ならば、自分で記録を読んで、因果関係を見つけて論文を書く。つまり歴史は学者本人が作っているのだ
だが、これを言ったらその上に乗っかっていた自分の業績が全て壊れることに気づいて、4年後に前言を翻した。
丸山眞男教授は、『歴史には法則性などない因果関係だけだ』ということに、1985年に気づいてしまった。
ヘーゲルは『歴史の進歩は必然だ』というウソをついた。だがこれで、英仏コンプレクスの独知識人をホッとさせた。
ドイツ人がひどい。英仏に対するコンプレクスのあまり、それを埋めるように高尚ぶるが、じつは傲慢に陥ってしまった
ぜんぜん文化薄い。おまけに中国は間違ったものだらけなので、同じく役に立たないのなら朝鮮の方が楽だ
2020年11月29日
私が古田博司という人物を知ったのは6年前の8月以降の事である。
高山正之が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであると同様に古田博司は戦後の世界で有数の学者である。
この様な人物が存在している事を朝日新聞は全く知らせて来なかった。
朝日新聞の酷さは、その一点だけでも、これ以上ない程に証明されている。
彼が自ら認めるように岡田英弘氏に次ぐ学者である事は、全く、その通りだろう。
私は岡田英弘氏の本を読んだことは無いが、何しろ、古田・高山の両名が最上級の敬意を称しているだけではなく、王岐山ですら岡田英弘氏の学識の深さを絶賛しているのだから。
古田博司は、時に、彼独特のユーモアを放つ、私はそのたびに大爆笑する。
彼には本物だけが持つユーモアもあるのである。
以下は、彼が月刊誌に、たたかうエピクロス、と題して連載している論文集からである。
私は初っ端から噴き出した。
新しい時代にふさわしい心構えを作ろう
東大文系の権威は地に墜ちた
以下の対話は、元新聞記者の某女史からの電話が元になっている。
「先生、何であんなに西洋哲学のこと詳しいの?」
「子どもの頃から授業適当に聞いてひざの上で西洋の原典読んでいたからだよ」
「日本人のもの読まなかったの?」
「だって、インテレクチュアルズが日本人のことバーカ・ダメ・土人というからには、日本人の彼らが書いたものもバーカ・ダメ・土人の産物なのだろうと思って読まなかった」
「ハハッ、大学はどうしたの?」
「指導教授が岐阜の代用教員の子だった可児弘明氏(歴史人類学)で、たたき上げのハイパー・リアリストだったので、ボクにはウソをつかなかった。ある日、彼がこう言ったのだ」
―「フルタ、僕は家が良かったら、中国なんかしていなかったよ」「じゃ、どこにしたのですか」「ヨーロッパに決まっているじゃないか」―
「やっぱりねと思って、ヨーロッパの原典独学を続けたのだ」
「はじめからヨーロッパできないの?」
「家柄が良くて、祖父や親たちの蓄えた文化資本が豊かでないと難しい。文化層が分厚いのだよ。問違っているもの、役に立たないものも混じっているから、良いものを選んで進まなければならない。そういった経験の蓄積ゼロでは本人の趣味で終わる」
「東アジアは?」
「ぜんぜん文化薄い。おまけに中国は間違ったものだらけなので、同じく役に立たないのなら朝鮮の方が楽だ。漢文やさしいしね。何か学ぼうとせずに、間違ったことをやり続けた人たちの記録として読めばよい。そうすると時間が空くから、西洋の原典を読む」
「それってひどくない」
「たしかにひどい。だが現実は冷酷で殺伐としてえげつないものだ。学問が高尚なものだと思ってはいけないよ。医学は血だらけ、工学なんか油まみれだ。文系も記述する学者の人格が高尚ならばそれで十分なのだ」
「学問が高尚だと思わせる人たちがいた」
「ドイツ人がひどい。英仏に対するコンプレクスのあまり、それを埋めるように高尚ぶるが、じつは傲慢に陥ってしまった」
「たとえば……」
「カントは大事な概念であるイデアを外してしまった。これで若者の間に『神域=真実』に至れないという絶望感が広がった。これを『カント危機』という。ヘーゲルは『歴史の進歩は必然だ』というウソをついた。だがこれで、英仏コンプレクスの独知識人をホッとさせた。なにしろドイツ統一までそこから30年もかかったのだよ。もとい、歴史は進歩なんかしないことは、アンコールワットの先が中世ではなく、密林の闇だったことを思い起こせばすぐに晴れる。国家には進歩ぜずに滅亡するものの方が歴史上圧倒的に多いのだ」
「後進国の日本知識人もこれに騙されてホッとした」
「そう、ヘーゲルの『進歩史観』はマルクスで科学のように粉飾され、『唯物史観』になった。それを信じ続けた。丸山眞男教授は、『歴史には法則性などない因果関係だけだ』ということに、1985年に気づいてしまった。だが、これを言ったらその上に乗っかっていた自分の業績が全て壊れることに気づいて、4年後に前言を翻した。『我々のオーソドクシーをまもるために、歴史の進歩観に立て』と、弟子たちを無明へと駆り立てた(『正統と異端』49、50、53、195頁参照)」
「どうして壊れちゃうの?」
「実証主義の学者ならば、自分で記録を読んで、因果関係を見つけて論文を書く。つまり歴史は学者本人が作っているのだ。そういう自覚をもって書いている。ということは、進歩史観の学者にはその自覚がないのだから、これまで実証研究していなかったことになるだろう」
「実証的でなかったことがばれちゃった」
「そう、それが冷酷な現実だ。東大の文系学者は実証研究せずに、権威形成ばかりしてきたと言わざるを得ない。社会学者の見田宗介教授もそうだ。2006年の時点で、社会学が定義不能な事態に陥っていたのに、『社会学は境界を超える知だ』と逆に学生たちを無知・無明に駆り立てた(著作集瑁「越境する知」参照)。東大社会学の権威を守りたかったのだろう。東大内の実証主義者たちには不憫なことだった」
「先生は実証研究してたの?」
「そう。実証研究に直観と超越をくわえて社会科学をしていた。それで何にでも使えるかを試すために、旧約聖書の記録で実験してみたのだ」
「それがこの間の本?」
「そう、あの本。で、『東アジア「反日」トライアングル』(文春新書、2005年)のあとがきで書いた、『隠れた質』(クアリタス・オクリタ)をやっと言えた(笑)」
この稿続く。