占領下で解体された日本の工業力と朝鮮戦争――仁科芳雄博士のサイクロトロン、航空機産業、そして「戦争特需」の歴史
高山正之の論文「忘れたい戦争」を通じ、占領下で解体された日本の重工業、仁科芳雄博士のサイクロトロンや航研機の廃棄、朝鮮戦争による工業国日本の存続、米兵の犠牲、韓国・中国をめぐる歴史を考察する。
2020年9月6日
以下は、前々回の『週刊新潮』に「忘れたい戦争」と題して掲載された高山正之の論文からである。
この論文も、彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
本稿を今日あらためて掲載する意味は、朝鮮戦争を単なる「日本が特需で利益を得た戦争」として語るだけでは、その全体像を捉えることができないからである。
その背景には、占領下で進められていた日本の工業力の解体と、米兵をはじめとする膨大な犠牲、さらに韓国と中国をめぐる容易には忘れてはならない歴史がある。
以下、引用する。
【高山正之「忘れたい戦争」から】
朝鮮戦争開戦70周年の節目に文在寅が「我が民族が戦争の痛みを経験しているときに逆に戦争特需を享受した国々もあった」と結構な嫌味を言った。
日本は確かにあの特需を心行くまで享受した。
享受どころか、おかげで米国が進めていたデモンタージュも止められた。
デモンタージュとは先進工業国の工業部門をそっくり奪う現代版の略奪を言う。
先例は第一次大戦後のドイツで、独工業の心臓部ルールがフランスに占領され、あのバイエル社は看板商品アスピリンと社名まで米国に持っていかれた。
先の大戦後もソ連が独鉄鋼生産の8割を取り、工業機械をそっくり収奪していった。
日本でも同じ。
戦時賠償使節団によって重工業部門は片端から解体され、機械類は支那、朝鮮に送られた。
仁科芳雄博士のサイクロトロンは分解して東京湾に捨てられた。
零戦や屠龍を生んだ航空機工場は更地にされ、航続飛行の世界記録を持つ航研機までブルドーザーで潰され、羽田空港内の鴨池に投棄された。
日本が鍋釜しか作れない農業国に落ちゆくときに朝鮮戦争が起きた。
日本は後方兵站基地として戦車や軍艦の修理から戦死将兵の送りびと役まで請け負った。
工業国日本は解体を免れた。
日本人は朝鮮の人たちの屈折した恩返しかと思ったほどだ。
ただ文在寅の「あの戦争を享受した国々」という言い方は納得できない。
享受したのは日本だけで、他の国はどこも悲惨な思いしかしていない。
文在寅がそれを意識していないことにむしろ驚く。
例えば米国だ。
韓国の後見役だったばかりに、あの戦争にみごと巻き込まれた。
で、韓国兵に代わって北朝鮮軍を半年で押し返した。
それで終わるはずが、思わぬ展開が待っていた。
そこに居合わせた当時17歳のジャック・チャップマンの話が、先日の『ニューヨーク・タイムズ』にあった。
場所は零下の長津湖。
いきなり敵襲に遭って「75ミリ無反動砲を連射したが彼らは次々湧き出してきた」。
世に言う人海戦術だ。
しかも迫りくるのは北朝鮮人でなく支那人だった。
彼は体中に被弾して昏倒し、目覚めたら「捕虜になっていた」。
南北朝鮮人の戦いはそのときから米国人と支那人の戦争に変わり、米兵3万3652人が戦死した。
そんな大量の流血の代償は「引き分け」。
華々しい太平洋戦争とは比べようもない地味さで、米議会は「inflict(動乱)」と、戦争とも見做さなかった。
5発も被弾しながら戦ったジャック二等兵は、戦傷勲章も与えられなかった。
「それでも老兵たちは凶悪な共産勢力を抑え、民主国家韓国を守ったとさびしく笑う」と『ニューヨーク・タイムズ』はジャックの記事を結んでいる。
では、救われた韓国の李承晩はというと、即座に戦争を米軍に委ね、国内の共産系保導連盟の残党を狩り出して殺していた。
粛清総数は110万人に上る。
彼は日本にもちょっかいを出す。
李承晩ラインを引いて日本漁船を拿捕し、吉田茂にカネを要求した。
いずれもまだ朝鮮戦争さなかのことだ。
支那人にも酷い戦争だった。
米軍を恐怖させた人海戦術に投入された兵士の多くは元国府軍。
蒋介石が台湾に逃げた後、置き去りにされた兵士はこうやって処分されていった。
勝手に戦争を放り出して他国に迷惑をかけた朝鮮戦争は、1950年6月25日に始まって今年はその70周年に当たる。
李氏朝鮮まで退化した北はともかく、韓国の方は反省する気になったか、戦争を押し付けた国々に謝意を込めた記念の品を贈った。
それが武漢コロナ用のマスク100万枚だった。
韓国のために散っていった他国の英霊への思いがマスクとは「おふざけか」と、240人の戦死者を出した日系米兵団体は言う。
朝鮮半島に関わると、どの国も報われない。
日本人も心したい。