黒木雪音、広上淳一、オーケストラ・アンサンブル金沢――リストのピアノ協奏曲第1番、歴史的名演
2026年9月23日、ザ・シンフォニーホールで、広上淳一指揮、オーケストラ・アンサンブル金沢の大阪定期公演を聴いた。
広上氏の指揮を生で聴くのは初めてだった。
最初のモーツァルト、交響曲第25番から、私はその響きに引き込まれた。
私は、今回の演奏会は、先般のシンフォニーホールでの演奏会で、会場内で知った。
つまり、随分、後に知ったのである。
幸いなことに1階F列の7番と8番が空いていた。
会場内で知った日はH列の12番だったから、この席からの見え方等はチェックできた。
私は、今日、大半の時間を、世界有数に素晴らしい音響を有するホールの上部を見ながら聴いていた。
良い席過ぎるから、オーケストラの人たちの運指の方に目が行きがちになるからである。
初めて聴く金沢アンサンブルの全てを、その響きの全てを聴いていた。
実に素晴らしいオーケストラだった。
最初の響きから17歳のモーツアルトを感じた。
やがて、モーツァルトが生きた時代の人々が、当時の装いで私が目を凝らしている空間に現れた。
突然、17歳で、この曲を書いていたモーツァルトと、家庭的な不幸に苛まされていた17歳の自分を思った。
胸が熱くなった。
モーツアルトの周囲の人たちが、当時の装いで、私が目を凝らしている空間=私が聴いている空間=に現れた。
演奏会でこんな経験をしたのは初めてである。
広上氏とオーケストラ・アンサンブル金沢は、それほど素晴らしかった。
続くリストのピアノ協奏曲第1番では、黒木雪音さんが歴史的な名演を繰り広げた。
私は、この公演に先立ち、アルゲリッチ、リヒテル、ミケランジェリによる同じ曲の演奏を聴いていた。
黒木雪音の最初の1音で、私は、歴史的な名演が誕生する事を確信した。
すべてが見事でありながら、聴き手の心に音が直接届くという、私が最初に黒木さんを聴いた時から感じてきた得難い魅力が、少しも失われていない。
彼女はその魅力を保ったまま、演奏家として一段高いところに到達していた。
演奏後の拍手は鳴り止まず、アンコールもまた素晴らしかった。
今日あの会場にいた人なら、この演奏を、もう一度、聴きたいと思うだろう。
このような名演を、あの日あの場所にいた聴衆だけのものにしてよいのだろうか。
前日、SNSで、奇特な方が、インディアナポリス国際ヴァイオリンコンクールに中野りなさんと渡辺紗蘭さんが「大輪の花」として出場していることを通知してくれた。
主催者が公開した映像では、演奏者の経歴を読みながら、その演奏を、素晴らしい画質の映像と、素晴らしい音質=響き、で聴くことができる。
私は、中野りなの、9/22の演奏曲目を全て聴いた。
私は、毎日、作業だけを継続していた。
世間は、今、シルバーウィークである。
今年は、最高の日並びで、5連休。
私は、連休に、全く予想外に、最高の贈り物を頂いたと思った。
遠く離れた日本にいる私が、ほぼ、同時刻に、彼女の演奏を、素晴らしい質の映像と響きで視聴できる。
何度でも視聴できる。
今日の黒木さんのリストにも、同じ機会があってほしい。
日本の演奏会でも、優れた演奏は、それこそ、連日、各地で生まれている。
だが、会場に行けた人だけが聴き、その日限りで消えてしまう名演がどれほどあることか。
その場にいた聴衆でさえ、もう一度聴くことができない。
私は、今日の午後、黒木雪音:広上淳一:金沢アンサンブルによる、リスト:ピアノ協奏曲第1番の歴史的な名演を聴いた。
何しろ、私は、今日の演奏会のために、アルゲリッチ:アバド:ロンドン交響楽団、リヒテル、ミケランジェリの演奏を聴いて行ったのである。
黒木雪音の最初の1音で、私は、歴史的な名演が誕生する事を確信した。
それぐらいに、素晴らしい、歴史的な演奏会だったのである。
まさか、だれも映像の記録も、録音もしていない、なんていうことはないだろうな?
もし、そうだとしたら、これもまた、日本の失われた30年だろう。