評論家は権力を問うのか、その走狗となるのか――朝日新聞「耕論」と立花隆への問い
本稿は2010年10月9日、「『耕論』に感謝。」と題して発信したものである。
評論家は、権力を問い質す者なのか…それとも、権力の側に立ち、その言葉を国民に刷り込む者なのか。
朝日新聞「耕論」を読んで私が突きつけた問いは、年月が経ったからと言って、過去のものにはならない。
言論とは何か、批評とは何か…その責任を今あらためて問うため、原文のまま再掲する。
2010-10-9
今朝の朝日新聞・耕論には感謝するよ…
立花隆について、もう間違いないな、との確信を持たせてくれたからさ…
本物の評論家だった室伏哲郎氏の…検察は昔から権力の走狗…のひそみで言えば、この男は検察の走狗だということが、今回の文章で、完璧に分かった。
この男と全く反対の側に居る人間が佐藤善博と言う弁護士。
僕が書き出してから暫くして、小沢一郎氏に対するマスコミの報道の酷さを指摘してから、政治に大きくリンクせざるを得なかったのだが…
この時に初めて、人の顔と言う事を、違う角度から考えさせられた。
その過程で、僕は、立花隆に感じていた違和感が浮かんで来た…
この男は、或る時期から芸術の世界にまで口を出して来ていたはずだ…
その時に感じたのだよ…
芸術の世界に携わっている人間で、こんな顔になる人間は居ないのだがな、と。
論評するのもアホらしい日本のマスコミが悪代官顔と規定し、そう刷り込まれた巣鴨のお婆さんたちや、多数の国民が従った訳だが…
あなたたちは気が付かなかったのかい…
立花隆って、もっと酷い顔をしていることに。
既述したように、スットコドッコイの政治の世界を選択したら、少年は、嫌でも破れ鍋に綴蓋になる…
そうか、立花隆もスットコドッコイの世界に居る事を、その顔でもって証明して居た訳だ。
ついでに言っておくが、立花隆なんぞは、私から言わせたら、阿呆のレベル。
前にも言ったけど、莫大な金を得て、24時間、書くことを選択したら、僕の同級生や先輩・後輩は、彼の2倍の本を書くのは間違いないから。
僕は、大分前に、「意気地無しの司馬遼太郎」と言う、短い戯文を書きなぐって置いたことがあるのだけど、彼は、意気地無しだったから、書庫の山に隠れた。
立花隆は、自分の原罪を隠すために書庫の山に隠れているのだが、この男は、天国には絶対に行けない。
私が言いたい事は…物理や化学等の解説をされるのは結構だけど…
間違っても芸術の領域には顔を出さないで下さいね…と言う事だけ。
それでは…
雨の休日に、美味しい朝食を摂りながら、何も拙い顔をした人間の事を書くことはなかったのだが。