「どぶ板選挙」が呼び覚ました青年時代の記憶――親友、全共闘、三条京阪での対話

2024/03/11

再発信!前章で「どぶ板選挙」と書いた。その事が私の青年時代の記憶を呼び覚ました。
2024年02月20日
以下は覚書である。
前章で「どぶ板選挙」と書いた。
その事が私の青年時代の記憶を呼び覚ました。
私の母校に二人の大親友がいた。
一人は気仙沼出身者。
一人は宮城県北の出身者である。
私は、どちらの家も訪問し宿泊した事があった。
気仙沼の海岸線の美しさは今でも鮮明に覚えている。
後者は我が家を訪問した事がある。
彼は私とは全く違う形で、家庭的な悩みを抱えていた。
人生の進路を決める決定的な時に、彼は、母親の頬に平手打ちを食らわせた。
私は、偶然だったとはいえ、必然としか言えない状況が訪れた一瞬に、目にもとまらぬ速さで体が動いて、パンチを3発、父親の顔面に放った。
この間の経緯は既述の通り。
全く無抵抗だった父親は、その一瞬が過ぎた後、人生で一番良い言葉を言った。
「ここは俺の家だから、お前が出て行け」
日本を代表する超エリートになるための頭脳を授かった私の人生が、全く別な人生に決定的に切り替わった瞬間でもあった。
後者の彼は、大器晩成型の人間でもあった。
家庭的な苦悩の中で、一浪した後、現役も含めた全校生徒で一番になった。
だが、上記の様な経緯で、東大には行かず、地元の東北大学に進学した。
全共闘の時代である。
仙台の街も、学生がデモで練り歩いていたような時代だった。
私は一瞬にして、彼らの視界から消えた。
長い間、母校の同窓生名簿には、消息不明となっていたほどに。
彼は、私を、一律相反する事を指摘できる天才だと考えていた。
だいぶ経って、実家に帰省した私は、彼から、頻繁に届いていた葉書や手紙を見て、胸が痛んだ。
何故なら、そこには、学問を究める為に、最高学府に進学したにも関わらず、連日、全共闘の攻勢に遭遇して苦悩していた彼の姿が赤裸々だったからである。
「こんな時に、お前がいてくれたなら…お前なら、彼らの一律背反する論理を、瞬時に論破してくれたはずだ、私の苦悩を解決してくれたはずだ…」
もはや、京大に進学し、京大を背負って立つ事は、霧散した私は、それでも、何とか、京都にたどり着いて、とにかく食いつないでいた。
そんなある日、三条京阪の駅で、京大の学生が、アジびらを配っていた。
私は、彼に言った。
「あなたたちは、要は自民党の政治を変えたいと思っているんだろう。
ならば、こんなところでビラを配っていることは無意味である。
なぜならば、京都の様な大都会に住んでいる人間たちは、皆、批判的な精神等は持っている…私は、宮城県仙台の隣の漁村に、船主の一族として生まれた…とても親しい日々の交流があった、親戚のおじさんは、漁協の組合員である。
選挙の季節になると、必ず、我が家の祖父母、母親に、今度の選挙は自民党の誰々に投票するように依頼に訪れる。
勿論、我が家の祖父母や母親は、その人間が、国のために、何を為してくれ、国がどうなるのかなど考える事はない。
それは日本中の地方が、まったく同様である。
もし、あなたが本当に自民党を負かしたい、と思うならば、そのような事を、一生、行わなければならない。
つまり、日々の戸別訪問活動が必要なのである。
あなたは、そんな活動を一生続けてゆく覚悟があって、こんな事をしているのか?…中略
だから、私は政治には関わらない。
私には、神様から与えられた頭脳を使わなければならない事があるからだ。
そもそも、大学は最高学府である。
あなたが為すべき事は、一にも二にも学問を究める事である。
おまけにあなたたちは、生活を親に負っているはずだ。
政治に対して、どのような態度を取るかなどは、貴方が社会人となって、自分の生計を自分で立てられるようになってから考えれば良い事であって、親のすねかじりをしている時に考えることではない。」
言わば、私をオルグしようとした彼が、全く予想外の角度から、反対にオルグされたわけである。
私は、あの学生は、政治で人生を棒に振ってはいないはずだと思う。
この稿続く。
本稿は、たくまずして、若者が政治の世界に入る事が、どれほど、無用無益な事か、日本国にとって大損失である事を明らかにしてもいる。

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