日本のジャーナリズムが犯している罪:偽りの正義と知性の欠如
ジャーナリストの使命は真実の検証であり、正義を気取ることではない。正義を名乗った日本のテレビと新聞が、20年の停滞と国民の苦しみを招いた罪を問う。
日本のジャーナリズム、特にテレビが「偽りの正義」を振りかざしてきた罪を厳しく糾弾する。筆者は、ジャーナリストの真の役割は「真実の追求と検証」であると主張し、思慮の浅いメディア関係者が正義の代弁者を気取ることが、日本の現状を招いたと指摘する。本物のジャーナリストや裁判官は正義を名乗らないという例を挙げ、その精神性の欠如がもたらした20年の停滞と国民の苦しみを強調する。
日本のジャーナリズムが犯している罪。
2010年09月13日
ジャーナリストが為すべき事は、真実の追求=真実に至る検証の積み重ね=であって正義漢を名乗ったり、気取る事ではない。
特に、日本のTVは、完全に、この間違いを犯し続けて来た…ロクな検証もせずに、そんな立場でものが言える大人でもない…愚かな能面顔や四角四面顔、気持ちの悪い稚児顔や、中途半端な別嬪顔。
その様なものたちが…思慮の足りない、思索の浅い者たちが…自分たちは正義の味方です、正義の代弁者ですとやり続けてきたから…ありとあらゆる番組で…報道、ワイドショーetc.…日本は、こんな事に成ったのです。
ジャーナリストが正義漢を名乗り出したら、ジャーナリストとしては、お終い。
そんな事は本物のジャーナリストなら誰でも知っている事。
このTVに論調を合わせるようにして、殆ど全ての活字媒体も…大新聞も正義を名乗り出した…その結果が、この20年と成ったのは当然の結果。神様の罰のようなものだが、国民に大きな苦しみを与えた罪は許されるものではない。
裁判官だって、正義漢を名乗っている訳じゃない…検証され尽くした事実に対してジャッジメントしているだけだ。本当に優秀な裁判官ほど…僕の大先輩には名声を博した最高裁裁判長が居たが…決して正義は名乗らないものであることを、日本のマスコミは肝に銘じるべきだと僕は思う。
本当に深い意味で言えば…人は人を裁く事は出来ない。
殺人者だって…人間的な、あまりに人間的な…と芥川龍之介は、言った。
源信和尚=恵心僧都は、善人ですら往生するのだから、ましてや悪人をや、と言った。