テレビは「話し言葉」の世界、真実は「文章」に宿る
テレビは話し言葉の世界であり、真実を追求すべき場ではない。真実は知性に基づく表現に宿る。若者に剽窃の罪を戒めつつ、芸術・学問の責任を説く。
テレビの役割について考察している。筆者は、テレビの本質は「パロール(話し言葉)」の世界であり、真実を追求する役割は担えないと主張。真実は「エクリチュール(文章)」に宿るとし、テレビが中途半端な検証で正義を気取ることが、人々に憎しみや過ちをもたらすと警告する。また、思想や表現の盗用を厳しく批判し、他者を尊重し、知性を磨くことの重要性を説いている。
前章を書いて気がついた事。
2010年09月10日
テレビは、ニュースについて、今までの様な勘違いを改めるべきだ。と
テレビとは、結局、パロール(話し言葉)の世界であること。に
だから、ニュースは淡々と事実のみを伝えるしかない。
何故…隠れた、隠された真実に光を当て、それを表現する事が出来るのは芸術家の役割…エクリチュール(表現)の役割…文章と言っても良い…だから。
役者のエクリチュール…極端に言えば顔芸と言おうか…等で為すべき事ではないからだ。
この事に気付かないと、日本に限らず世界中のTVは、大きな過ちを犯し続けるだろう。
中途半端な理解、中途半端な認識等ほど…憎しみを醸しだしたり、挙げ句は戦争に至らせる…人を誤らせるものはないからだ。
TVとは…本質的に…精神年齢13歳…つまりパロール(話し言葉)だけの世界でしかないからだ。
TVは、事象について、真実を追求する様な、阿呆な真似はしてはいけない。
それは…新聞(紙面的に少し無理があるが)…週刊誌、月刊誌等の役割だろう。
これからで言えばネットも、その役割を担うだろう。
話し言葉では真実は語れない…顔に目が行くからだ…真実は表現された言葉にしか宿らないもの。
TVよ、今のままを続けると、貴方たちは皆、神から罰せられるだろう。
何故…真実とは…深い知性の上に宿る…神の事だからだ。
イエス・キリストは、そう告げたのだ…知性を極めよ…と。
すべからく…汝の隣人を愛せよ…と。
顔の美醜なんぞで人を判断するなぞは、もってのほか。 と
キリストも、釈迦も、そう言ったはずだ。
御存じの様に、釈迦は…最も美しい花は、泥の中に咲く…とも言った。
©芥川賢治=無断転載、無断引用厳禁。
*相手のアイデア、思考に対する際限のない剽窃…パクリとも言う…は政治家…管直人氏は得意技にしているようだが…等にのみ、許されている例外…僕は正しい事だとは思わないが…であって、思索や学問…人間にとって最も大事なもの…の領域では、それは犯罪だからだ…天国には決して行けない犯罪…犬畜生にも劣る犯罪だからだ。
僕は、この事は、現代の若者は心しなければいけないと思う…ネットから幾らでもコピー…必ず引用文献、や作者を銘記しなければならない…それは、あなたが高貴な人間に成れるかなれないかの分かれ道になることを…肝に銘じて生きて行かねばならない。
地獄に落ちて…煉獄の窯の中で…閻魔大王の責め苦に遭いたい者は…この限りではないが。
他者を尊重するとは、そういう事から始まるのだ…僕は剽窃の類を繰り返して生きて来た人間で…幸福に成った者を見た事が無い…現世では幸福に見えても…閻魔大王は…必ず…三途の川で待っているぞ。