ディーノ・カンパーナと日本の知性への願い

イタリアの大詩人ディーノ・カンパーナが歌い上げた「労働者イタロ・フランチェーゼの唄」。鋼の塔のように心をよみがえらせる詩の力と、労働者の魂を描いた名作は、今もなお読み手を震わせる。著者が30年以上前に出会い、深い感銘を受けた詩と、その背景にあるイタリアへの思い、そして日本の知識人とマスコミへの痛烈な提言を描く。

2010年8月21日、筆者は30年以上前に出会ったイタリアの大詩人ディーノ・カンパーナの詩「労働者イタロ・フランチェーゼの唄」を紹介し、その感動を語る。詩に込められた労働者の精神とイタリアへの深い愛情を通し、東京一極集中の日本のテレビ局に対し、地方への分散と労働者の心を描き出すことの重要性を強く提言する。知識人の本来の役割とは何かを問い直すエッセイ。

ディーノ・カンパーナ
2010年08月21日

ディーノ・カンパーナはイタリアの大詩人。

僕は30年以上前に出会った。
…今、世界にはどんな詩人がいるのだろうか…
それを知らなきゃ世界が分かる訳が無い…と思っていたのです。

筑摩書房でしたか…世界の現代詩人選集と言う大きくは無い黒い箱の装丁で2巻だったでしょうか…買い求め読みふけった時期が在りました。

くす玉の様に素晴らしい詩人たちが…スペインにスェーデンにetcに。
宝石の様な詩の数々。

その中で一番僕の心を捉えたのは標題の詩人。

25年前に縁あってローマに支店を作った…今は、ずっと閉店休業中ですが(苦笑)彼の国に、とにかく支店を作っただけでも良かったと思う程。

彼の詩の中で、僕が、これ以上のものはないと思うのは「労働者イタロ・フランチェーゼの唄」(大空幸子訳)と言う題の詩。

鋼の塔のように 夕暮れのやけた心の中で
わたしの精神はよみがえる
無言の接吻のために。

もしもあれが芥子色の庭なら
もしもそれが無限のエレジアなら
アルプス山脈のいただきには
まずしいイタリア人の労働の破片があるのではないか?
おそらくポプラの樹々のあいだに。
夕暮れのやけた眸の縁に
もしひとりの羊飼いの少女が映るなら
なぜか塔は去ってしまう

切断されたポプラのきらめきよ。
鋼の塔のように
夕暮れのやけた心のなかで
私の精神はよみがえる
無限の接吻の為に。

イタリア

限りなき哀しみこめわたしはおまえを愛する
心の破片のきらめきよ
山の頂の光に染められたおまえの労働よ
おまえは山につづく道をつくった
わずかの唄とたくさんのヴィーノで。
おまえは星々の赤い外套にとどくほど
わたしのすぐ傍らに 黙ってきていた
異国の土の奥底からも応えられるほど
おまえは深く潜んでいた

イタリア

わたしはおまえを棄てることはできない
イタリア人の心なき破片のきらめきよ
信じてくれ わたしたちは新鮮な処女のように
おまえを誇るだろう

鋼の塔のように
夕暮れのやけた心のなかで
わたしの精神はよみがえる
無限の接吻のために

…と歌いあげた、この詩以上のものはないとさえ、僕は思う。

彼の詩が在るから、僕は、それでなくとも美しく素晴らしい国イタリア、永遠の都ローマが在る国イタリアが、3倍好きなのです。

僕は、今、東京の狭い地域に6社もひしめいているTV各社が、今すぐ、北海道、東北、中部、近畿、中国、九州、四国に分散し、その山脈に、森に、海に、長い事虐げられてきた日本の労働者の、こころの、魂のかけらを見つけ出し、映し続け、描き続ける事を願う。

貴方達が動く事は、忽ち、これらの地方を繁栄させることにも成るのです。

それ以外に、所謂、労働者ではない、知識人であると思っているはずの貴方たちが、為すべき事があるでしょうか?

本来、知識人とは労働者の幸福のために存在するものであり、或いは労働者が居るからこその存在。
労働者が貧困に苦しんでいるのに、知識人の幸福が在る訳はないのだから。



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