1994年の意見広告を引用しながら思う事 ― 失われた20年とマスコミの罪

1994年の意見広告を振り返り、ピーター・タスカの警告が現実となった今を検証。日本の「失われた20年」を生んだのはエリート層とマスコミの罪であり、国を救うには本物の仕事師が必要だと訴える。
1994年に筆者自身が発表した意見広告を引用し、日本のメディアを批判する。筆者は、テレビが流す泡沫的な情報と批判精神の欠如を指摘し、低成長時代がもたらす「金持ちには悪くないが、中流や起業家には厳しい時代」というピーター・タスカの予言が的中したと述べる。日本の「失われた20年」は、エリート層が作り出した世論の結果であり、特にマスコミの罪が深いと確信している。


1994年の意見広告を引用しながら思う事。
2010年09月02日

前述のピーター・タスカは、20年前から、とても僕に近い頭脳を持っていると思っていた…16年前に仕方なく折込の形で、僕が最初に、大阪府下に意見広告した文章を以下に書きます。

[日本のマスコミ]毎日毎日の泡沫的な事…誰それが結婚した。誰それが豆まいた。
誰それが何処に行った。etc…。を朝から午後中、全てのチャンネルで、延々と流し続けるTV。君らこそバブルであって、私たちではない。

もしこの国の若い男女が本も読まずに、TVを主たる知的対象として育つなどと想像したらゾッとしませんか?常に奥歯に物が挟まった形でしかものが言えない…深みに到達できない所以。君たちの批判精神は深い所で死んでいる。

君達は今、低成長でいいんだと言う。然らば、低成長時代とは、どんな時代だろう…

低成長時代とは、お金を儲けることが非常に難しくなる時代でもある…もう既にお金を持っている、裕福な人にとっては、それを確保していくことは、それほど難しい時代ではない。低成長は、金持ちには決して悪くないが、中流の人々には大きなダメージになる。さらに、新しい事業を始めるアントルプルナーたちにとっては大変厳しい時代になる(日本の時代は終わったか。ピーター・タスカ) そんな時代がいい時代だろうか?

今は、見事に僕と彼の予言どおりに成っている訳です。

僕は、この文章を書きだして…既に読者の方々もお気づきの様に…更に明瞭に気づいた事があるのです。
「日本の失われた20年」は、今、エリート層に居る者たちの明白な罪である、と。

だから僕は、彼らが作りだした今の世論には与したくないし、与さない。

60年前までも、18年前も、そして今も…全ては彼らが作りだした世論だからだ。

本当の知性から言えば、漫画の様に阿呆な20年。そして今。

既述したように、今は、アエラ編集部に居て、何の臆面もなく、巻頭から大記事を…これまでを繰り返す…書いている山田厚史に代表されるマスコミの罪が一番深いと僕は確信しているからだ。

だから、マスコミの目線を意識した様な者たちを僕は信じない。

ただし、イベントが終わったら、全員総出で、この20年を取り返すべく死にもの狂いで、わき目も振らず、無駄口も叩かず…そんな余裕など、もはや何処にも無いのだから…全員、本物の仕事師として、優良な者の意見は聞いても、無能な前例踏襲型の官僚なぞは一掃して、国を救えよ。と、願うのみで。

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