NHKハイビジョン「秋吉敏子特集」― 音と人生の深淵

2010年12月3日、NHKハイビジョンで放送された「秋吉敏子特集」。81歳にしてなお進化し続けるピアニストの姿に筆者は衝撃を受ける。オスカー・ピーターソンに見出され渡米、巨匠たちと共演し、社会問題や「ヒロシマ」をテーマに音楽を刻んだ人生。音楽的にも精神的にも深化し続ける秋吉敏子の姿から、芸術と人生の本質を学んだ記録。

2010年12月3日、NHKで放送された秋吉敏子のドキュメンタリー番組の視聴記録。筆者は、81歳でなお現役の彼女の姿に感銘を受け、その並外れた才能と人間的な深さを綴る。オスカー・ピーターソンに見出されて単身渡米した後の苦難、娘を実家に預けた時の慟哭、そしてジャズの本場で日本人として自らの存在意義を問い続けた軌跡を描写。「鼓」と「ジャズ」を融合させたビッグバンド、ヒロシマをテーマにした作品、そして両手の病気からの復活など、彼女の挑戦と葛藤を追体験する。最後に演奏された「Hope」の「始まりの一音」に衝撃を受け、本物の芸術家が放つ「音」の力と、それを観ることで得られる人生の豊かさを力説する。

NHKハイビジョンで、8時から始まった「秋吉敏子特集」
2010年12月03日

(今しがた、NHKハイビジョンで、8時から始まった「秋吉敏子特集」が終わった…彼女は、なんと81歳…80歳をとうに過ぎてから「科学者としての宮沢賢治」を書いた斎藤文一さんと一緒だなぁ…なんという凄い人たちだろう…本物のたいじんが、またひとり増えた。)
NYから、NHKの招請に応じてかけつけて来てくれた。
(仕事が終わった後だから、少し気が重かったのだが…私は、I-tunesの中に、ジャズの達人たちの名演奏も結構入れているのだが…どちらかと言えば、ジャズは殆ど聴かないから…この少しばかりの気の重さに打ち勝って…最初から観て良かった。)
(番組の最初に、彼女が、コンサートで必ず弾くと言う曲を演奏したからだ…。)
1953年、日本最初のライブハウスらしいテネシーカフェで、来日公演中だった、オスカー・ピーターソンに見出される。…彼の後押しで、「TOSHIKO‘S PIANO」を出す。それで単身渡米。ボストンのバークリー音楽院に入学。
合間に、ルイ・アームストロング、ディジー・ガレスピー、デューク・エリントン等と演奏。
結婚して離婚。
子供を育てるために職業安定所に行く…何も出来ない、タイピングも、何も…姉が引き取る。と…お母さんも生きていたから…

「お金ってのは、一番大事なことは解決できないけど、解決できることは一杯あるんですよね」…もちろん、その頃はお金の余裕はなかった…アパートの家賃を払うのが精一杯で。
…それで実家に子供を預けた…あれは間違いだったですね。
(気取らせぬ様に彼女はしていた…何気なくのどに手をあてた時、僕は、彼女が、心の中で慟哭していたのが分った…そんなことには気が付かない感じのカメラが、暫くして彼女の表情を、とらえたとき、やっぱり。…本当に奇麗に澄んだ瞳が…全く曇りのない目が…少し曇っていた。)

それから寝ないで、稼ぐ。
それで自費コンサートを開く。

ジャズにおいて日本人であること。
フロントに立っている人間には必ず成功が在る。
ルー・タバキンと再婚して。
ジャズを止めようと思ったが。
自分は何者なのか。…唐木順三「無用者の哲学」を読んで…。
黒人暴動とかの社会問題の中で。アジア人であることが滑稽に見られた。
自分に存在価値が無いと感じた時…真剣に自分の存在意義を考えた。
多分、日本に居たら、こういう気持ちにならなかったと思う。
アップ、アップしてて…自分はジャズミュージシャンとして、どこに居るんだろうか。
彼女の、有名なビッグ・バンドでの、デビュー作「孤軍」が流れた。(始まりの音を聴いた瞬間に驚いた。…凄い)
…小野寺少尉の姿に心揺さぶられて、この曲を捧げた。と彼女は言う。
ものすごく心が痛んで…我々、ちっちゃい人間は、上の命令で…
それで彼の姿を見て、凄く心が痛んだ…。
鼓…音が横に流れる。ジャズは縦。それを合わせる…だいぶ時間がかかったんだけど。
自分が持ってる物は…自然に出てくるもんだなって…。
日本では叩かれるだろうな、って思った…日本のジャズファンは違うと言うだろうなと思っていたら、「うぉっ」という驚きをもって受け入れられた。
デューク・エリントンが亡くなった時…彼は、自分が黒人である事を、大事に、誇りに思っていた…あたしも自分の伝統を掘り下げるべきだって思った。
あたしは誰よりも経験を持っていたが…日本を表現する事で、ジャズに恩返しができるんじゃないかと思った。
(秋吉敏子の音の凄いこと。私は驚いた。勿論、名前や功績は殆ど知っていたけど、恥ずかしながら、ちゃんと聴いたのは初めてだったから尚更。)
2001年、ヒロシマをテーマにした曲を発表…(これがまた凄い。テナーサックスの響きの深さ、美しさ。)
ミュージッシャンだから、ジャズ語で記録した…こういうことは二度と起こしてほしくない…依頼されて、最初に写真集を見せられて、大変なショックを受けて…これは断ろうと思った。
一枚、若い女性が上を向いていた写真があった…とてもきれいな表情の写真だった…これなら書けると思った…ひとはどんな時でも希望をもてるんだって気付かされたから。
両手が委縮する病気に罹って、ビッグ・バンドを解散して…逆に、ピアノを弾こうと…手術して…リハビリが大変なんですよ…最初にピアノを弾いた時、涙が出た。
建物を造る時は、土台がしっかりしていないと…ジャズのジャイアンツが、生きていた時代だったから…一緒に演奏した。
それがわたしの財産になっている。
日頃の訓練は、猛烈にやらなきゃいけない…まだまだ未熟で、もっともっと勉強しなきゃいけない…テクニック的には20代には追い付いていない、でも、音楽的には、良くなってると思う…音は良くなってると思う…(私、同感。凄いよ。凄い音だよ。)
演奏するってのは、自分が考えた事を演奏する…だから、それを…
We can’t win but we can try…それが人生だと思う。
これから何か起きるだろうなって思う…自分が見つけるものが…みんなが共有しているものであってほしいなって思ってる。
Be kind yourself……せっかく、これだけのものを持ってるのに、これだけでやめちゃったらいけない…アメリカ人は、そういう言い方をする。
最後に「Hope」を、演奏した…。
(これは凄かった…その響きが、始まりの一音から。凄い、本当に凄くて、深くて、素晴らしかった。)
100年後へのメッセージ。
宗教でいがみあっているけど、100年後には、なくなっていると願う…
お互いに尊敬し合って…相手の方も尊敬して上げる…もっと良い地球になると…地球があればですけど。
(みなさまがたも、仕事の後だから、重たいかな、などと思わずに、或いは、その感じには、必ず打ち勝って、観るべきものはみるべきだと…私は痛感した午後8時でした。)

その差は、本当に大きい…人生と一緒だと僕は思う。この時間に、下らぬ痴呆番組を観ていたあなた、と、僕では、地球一周分違ったよ。
僕の実況中継で、半周は追いつけると思うけど(笑)。




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