「文明のターンテーブル」第1章の総括と第二章への過酷な移行—欺瞞と病、そして「魂の仕事」としての執筆

筆者の著書『文明のターンテーブル』第1章の総括と、その後の執筆活動が直面した過酷な現実を詳述。前代未聞の意見広告で社会に一石を投じた筆者が、詐欺被害と「キラーストレス」による大病に見舞われるも、オンライン上での誹謗中傷や妨害と闘いながら、第二章という「魂の仕事」の完成を目指す姿を描きます。真の表現者(エクリチュール)に課された試練と、不屈の精神に迫ります。

「文明のターンテーブル」第1章の総括と第二章への移行

「文明のターンテーブル」第1章は、筆者が自身の体験に基づき、社会や権力に対する深い洞察を表明したものであると総括できます。具体的には、以下の点が強調されています。

  • 前例のない行動: 1990年(平成2年)の総量規制以降の厳しい経済状況下で、自らが従事してきたビジネスを守るため、また「スーパー重課税」という不公平な税を正すために、1000万円という巨額の広告費を投じて意見広告を日経新聞に掲載したという、前例のない行動。この行動は、エリート層が声を上げない風潮の中で、あえて声を上げた「寒士(かんし)」としての自覚から生まれたものだと述べられています。
  • 影響力の確信: 7年前に大阪で日経新聞に掲載した意見広告が大阪の中枢に届いたのと同様に、第1章も日本の「中枢」に深く、静かに届いているという確信。特に、マスメディアに対する筆者の論は、かつて誰も論じてこなかったものであり、その独自性と深さが強調されています。
  • 文体と表現の探求: 筆者は、パソコンのキーボードとの出会いによって、自らの文体が完成したと述べています。自筆を好まなかった筆者が、キーボードの「明瞭な字」と出会い、誰もが読める「共通の文字」で言葉を紡ぐことに価値を見出しています。書道などの形式的な表現には価値を認めず、言葉の「真実」のみを重視する姿勢が示されています。また、「エクリチュール(表現すること)」は魂の仕事であり、話し言葉では表現できない、時間をかけた仕事であると位置づけています。

第二章への移行について

第二章は、第1章で示された確信と哲学に基づき、書籍という形でしか表現できない内容へと深化していくことが示唆されています。

  • 読者への約束: 筆者は、本を購入する読者に対して、「買って頂く値打ちのある思索」を提供することを約束しています。これは、不特定多数への発信ではなく、特定の読者に向けた、より深く、質の高い言葉を届けるという意思の表れです。
  • 「本の形」でしか書けない内容: 第二章の内容は、インターネットでの無料発信では伝えきれない、本という形態だからこそ成立する**「魂」の仕事**であると述べられています。これは、時間と労力をかけて磨き上げられた、筆者の思索の結晶が凝縮されたものであることを示唆しています。
  • 思索の深み: 筆者は、これまでの人生で、京都の歴史的な名所(竜安寺、銀閣寺、詩仙堂など)や世界中を「見尽くして」きたと述べ、その経験と思索の深さが第二章の根幹をなすことを強調しています。

総じて、第一章が自らの経験と思想を広く世に問う「呼び水」だとすれば、第二章は、その呼び水によって集まった読者に対し、より深く、本質的な思索の旅へと誘う「本編」として位置づけられていると言えるでしょう。

筆者の心情と今後の展望

文章の後半では、筆者の現在の心情と今後の展望が垣間見えます。

  • 創作への意欲と現実: 筆者は、愛するハワイの写真を撮りたいという創作意欲に駆られながらも、経済的な制約(貧乏暮らし)から断念せざるを得ない現実を吐露しています。
  • 新しい表現の模索: 冬の京都で「今まで見た事のない何か」を見つけられることを期待しつつも、もしそれが叶わなければ、映画鑑賞や、大切な人の笑顔(「くりきんとさん」)を見て過ごすという、ささやかな幸せに目を向ける姿勢が描かれています。
  • 創造と生活の調和: 芸術的な創作活動(写真や執筆)と、現実の生活との間で揺れ動く筆者の葛藤と、それでもなお、ささやかな幸せを見つけようとする人間的な姿が印象的です。

これらの記述は、筆者が単なる思索家ではなく、現実の中で葛藤し、創造を続ける一人の人間であることを示しており、第二章で語られる「魂」の言葉に、より深いリアリティを与えています。

第二章への移行と、その後の過酷な試練

第二章は、第1章で示された確信と哲学に基づき、書籍という形でしか表現できない内容へと深化していくことが示唆されていました。筆者は、不特定多数への発信ではなく、特定の読者に向けた、より深く、質の高い言葉を届けることを約束し、第二章を**「魂」の仕事**として位置づけました。

しかし、この第二章の門出は暗転します。

筆者は、所有していた梅田のビルに現れた男女3人で現れた悪党に大金を詐取されるという事件に遭いました。この無念と激しい怒りは「キラーストレス」となり、筆者は担当医から「生きる確率25%」と宣告されるほどの大病に罹患します。

筆者の後輩が在籍する、京大医学部附属病院に匹敵する大病院、大阪の北野病院で8ヶ月に及ぶ闘病生活を送ることになりました。そして、2011年6月1日、病室から出版告知をした途端、今度は件の悪党が、筆者の著書や筆者自身に対して、信じがたい量の誹謗中傷や検索妨害をオンライン上で仕掛けてきました。

この事態は、まさに第二章を執筆しようとする矢先に降りかかった、さらなる「試練」でした。筆者はかねてから、真のgiftedには神が試練を与える、と書いてきました。しかし、この事件と病は、人生の再スタートではなく、またもや試練が始まったことを意味していました。

にもかかわらず、筆者は、こうした人生の厳しさや不条理と向き合いながら、第二章という「魂の仕事」を完成させることを目指しているのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA