鎮魂歌:ふるさとの海が飲み込んだもの 〜3.11東日本大震災に寄せて〜

2011/3/11

私の故郷は…。

昨日、今日のニュースで日本中の多くの人は初めて知った名前だと思うが、閖(ゆり)上(あげ)と言う名前の港町。

清流広瀬川が太平洋に注ぐ前に、これまた清流である、秋保温泉の上流を源泉とする名取川と合流し、名取川と成って太平洋にそそぐ海辺の漁師町。

ここの港に続く湾で採れる赤貝は築地の寿司ネタでは日本一の評価を得ていた。例えば帝国ホテルに在る「なかた」は、赤貝は閖上の赤貝と決めていた。

普段は、九十九里浜まで続く、あんなに美しい海岸線が地球創世記の様な姿を現して、その他の町と同様に、小学校や中学校等を除いて、ほぼ全滅したのです。

私の母親は極めて厳しい状況ですが、さっき、小学校で救出を待っていた人たちが自衛隊に依って救出されたと。

これを書いている時に、くりきんとんさんが電話をかけて来た。「教室で伊勢湾台風のビデオを見せられて…」と言うから、私は遮って言った。

今回の地震は人類史上最大級のもので、比較するものなどない。だから…貴女は新聞を読まずネットばかり見ている人だから分からないだろうが…世界中が通常のニュースを中断してNHKのニュースを流している。アルジャジーラですら、そうなのだ。ニュージーランドもそうだ。こんなことは…一瞬にして、日本の東半分の沿岸部を壊滅状態にするなどと言う事は戦争でも出来ない。あの阪神大震災の数千倍のエネルギーが放出された人類が初めて目にする惨状なのだ。今までのどんな災害もこれに比較する事は出来ない。だからクリントン国務長官が「出来る事は何でもする」と談話を出したのだ、と、言った所で、言葉が詰まった。

気を取り直して、ヒロシマ・ナガサキの原爆の、多分、数千倍のエネルギーが陸地に向かったのだ。と言ったら、彼女は「うーん」と言ったきりだったが。昨日から今日にかけての映像を見た世界中の政府や人は、己のエゴイズムに捉われて権謀術策に明け暮れる事が、どんなに空しいことかを知って欲しい。

そうでなければ、ヒロシマ・ナガサキと同じ様に、これから更に増えて行くおびただしい死者の数、地球という名の大地が被った傷は。

なんてこったい!!!

弊社事務所の在るビル(当然ながら大阪市)も気持ち悪い程に長い時間揺れた。おさまったのでネットを叩いたら、三陸沖でマグニチュード7.9!だと。

私の故郷、宮城県の北部 栗原市、築館では震度7!だと。…此処は、私が高校時代の無二の親友の実家が在る所…大丈夫だろうか?…私は携帯ワンセグ設定していないからテレビも観れない。

揺れている間中、「これは大きいぞ、阪神大震災級の地震だぞ」、と思っていたのだ。

おお!私が生まれ育った街も、震度6強ではないか。大丈夫かな、恐ろしい事になっていなければ良いが。

急いで帰宅したのだが、私が生まれ育った町が津波にのみ込まれて町ごと消えて行っている映像を、見ているなんて!…お母ちゃん、大丈夫か!逃げられたか。何とか、逃がしていてくれよ。…俺は、今、お母ちゃんに死んでほしくないんだよ!何とか助かっていてくれよ。

世界中の資本主義テロリスト達も、今は、ただ祈って欲しい。

阪神大震災の時も時間の経過とともに、死者数がどんどん増えてきて最終的には6,400人超だった。

同じ様な事になるのではあるまいな。

帰宅して見たのは、高校生時分の私の、もう一人の無二の親友だったO君の実家が在る気仙沼と、岩手の八戸に津波が押し寄せている映像だった。

えらいことだが何とか持ちこたえている、良かった、と思って見ていたら、名取川の映像が同時間で現れた。

最初は私が生まれ育った町の川向かいの映像だった。

私が中学を卒業した頃に完成した当時は新しい橋…仙台に向かうのに大幅に時間が短縮できる様になった…の手前まで、全ての家や車を呑み込んだ津波が押し寄せていた。

橋の上には数台の車が我が町の方に向かっていた…危ないんじゃないかと思って見ていたら、あっという間に橋を乗り越えた津波に、みな、流されてしまった。

その後だった。

カメラが手前にスパンして来た時、僕は言葉を失った…

自分が生まれ育った町が全て津波に呑み込まれ、中学校、そして、ずっと北に在る小学校まで呑み込んでしまった。

海辺からあそこまでは5km以上はあるはず。…さっきの放送では海辺から10kmも離れた仙台・区役所の1階まで津波が到達していると。

阪神大震災の時の様に、時間が経つにつれて、幾何級数的に死者が増えない事を祈るのみ。

東京に居る親友のKさん。

Kさんの母校のヨット部が定期的に合宿をしてくれていた…貴方も参加して…

私の故郷は、一瞬にして、見た事もないようなCatastropheで消えてしまった。

子供の頃、チリ地震津波や三陸津波を記憶する石碑を見た事はある。

港の界面すれすれに、津波が来たのを見た事もある。

でも、こんな映像は誰も見た事がなかった。

ただ、そこは私が生まれ育った町だった。

私たちの国が20年超も馬鹿な事ばかりやり続けて来たから神が怒ったのか。

何にも罪のない人たちが、実は、皆、避難した後の映像であることを祈るのみ。

やっぱり、阪神大震災の時と同じ、時間が経つほどに…。

私の無二の親友だったO君の実家が在る気仙沼が、信じられないほどの火の海になっている。…

父上は気仙沼市役所の課長をしていた…高校生の時に泊りがけで遊びに行った。

気仙沼と言うのはとても美しいリアス式海岸と、素晴らしく美しく青い海が在る街。

森の様な場所を抜けると目の前に信じ難い程に美しい海が広がったいて、高校生だった僕はその美しさに息をのんだ。

鎮魂歌。

子供の頃、夏が待ち遠しかった。辛い家庭に育った子供には、毎日が青空の夏が待ち遠しかったのだ。毎日が泳ぎ。だから47回もハワイに行ったのだろう。

長谷工のペエペエ社員だった時は、夏は水着とタオルを持って会社に行っていた。必ず時間を作って扇町公園に在った大阪プール…競泳大会用のスタンド付きの50m×8レーンの屋外プール。

隣には大会開催用の飛び込みプールを併設されていた。勿論、水深は深いから足は着かない。

命知らずの悪ガキたちは平気で遥か遠くまで泳いで行くのだが、私は、いつも、或る時点で、説明の着かない恐怖を感じて、そこから先には行かなかった…

本能的に…使命を果たすまでは死ねない…君子危うきに近寄らず。

私の海は波が荒い事で有名で、子供の頃は、仙台からの海水浴客が、毎年、一人は死んでいた。

数日後に港の魚市場のコンクリートの上に上げられていた、マンボウの様に膨れ上がった水死体を見た事もある。

コクトーか誰かが詩の中で書いていた言葉だが、水…温かい時には親しみを感じるが、冷たい時には孤独を感じる…

砂浜から直ぐの荒波を過ぎて沖合に泳ぎ出した或る地点で私が必ず感じていた感覚は、まさに、これだった。

説明のつかない孤独、殆ど恐怖に近い孤独…

わたしの海は貝の殻、海の響きを懐かしむ、というのは、海を見ている時の感覚。

砂浜での感覚なのだ。

遥かに沖合に出て行くと、一瞬、その感覚を強烈に感じるのだが、私は、何時も、その後に、底知れぬ恐怖を感じた…その地点で必ず引き返した。

これは何か不慮の事が起きても…足がつるとか…砂浜まで帰れる距離を本能的に測っていたとも言えるのだが。

その海が、昨日、誰も見た事がない創世記の様な姿を現して、私が生まれ育った町を湿舌を持った怪物の様にひとのみにしてしまった。

日付が変わって、私が通った小学校、中学校は無事で、そこで2,000人の人たちが、あたり一面の水びたしの中、救助を待っているとNHKが伝えた。

この場から飛んで行きたいと思っても私には何も出来ない。眠る事しかできない。3時間も眠らずに目を覚ました。

風呂に入った。出来る事は、ただ、こうして鎮魂歌を書くことだけだと。

今、小学校に、瓦礫をかき分けて自衛隊が救助に向かっている!と

私は彼らに言いたい。

貴方がたの、本質は権力追従の、己は約束された一生安泰の高級取り、或いは、そうすることで己が名声や地位を確立したり、痴呆テレビを24時間流し続けながら、「政治とカネ」等と言う虚構をやり続けて来た事が、何の意味もなかった事を今こそ知るべし、と。

そんな事よりも、国を富ませて、海に囲まれた災害列島日本に、その国力に相応しく、日本中の全ての海辺の町に、この様に、地球が真の姿を現した時に備えて、あっという間に、全員を乗せて高台に運ぶ、現代版、ノアの方舟を、全ての町に備えて置くべきだったのだと。

それこそが為すべき事だったことを!、それこそがエクソダスなんだと。ほへよ、たへばなよ、目をかっ開いて、良く見るがいい。テレビを己らの下卑た有り様に私用して来た者たちよ。お前たちだけが己が世の春を謳歌して金を稼いでいる間に、人は、こうして死んで行くのだ。

今、くりきんとんさんから電話があり「PCで写真を贈るから」と。開けて見たら、おお。これなら何とか可能性はあるのではないか。

私と家族の事は読者の方なら既にご存じのはず…皆さま方とは全く違い、普通ではないものが在るのです…

一生の縁を切った者たちとは二度と会いたくない、口もききたくない、だから父親の葬式にも出なかった。という程の…

だけれども母親にだけは逢いに行けなければいけない…。その内に、それだけは、そうしようと思い続けていた時に、今回のことが起きたから、余計に

此処の経営者は、表題の名前で私の一級上で町のお医者さんの息子、高校も一級上だった事は失念していて…精一さん、済みません…先日、妹が教えてくれた。

精一さん、流石に我が高校の先輩。

こんなに立派な老人ホームを作っていてくれて有難う。

これなら、妹が言って来たように「お母ちゃんの部屋は1階だから…3階に移っていてくれたら何とか…」と思った。

ところが、今、これを書き出して、再度、写真を見直して暗澹とした…何処にも人気がないばかりか、仔細に見ると、津波は、この高さを遥かに超えて行ったのではないか。

何とか全員を、あの地震から津波までの50分の間に、車ならわずかな距離である、増田まで動かせたのなら良いんだが…だけども、それなら連絡が在るはず

http://www.dailymail.co.uk/news/article-1365318/Japan-earthquake-tsunami-The-moment-mother-nature-engulfed-nation.html

Red alert: Flames engulf homes that were hit with the full force of the tsunami in the Miyagi region of north eastern Japan の写真。

Read more: http://www.dailymail.co.uk/news/article-1365318/Japan-earthquake-tsunami-The-moment-mother-nature-engulfed-nation.html#ixzz1GMDtzBv4

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA