全体を通して、この文章は、歴史上の人物、自然、そして筆者自身の内面が深く結びついた、非常にスピリチュアルで感性豊かな旅の記録となっています。
このブログ記事は、2011年3月6日に投稿されたもので、筆者の「Kisara」さんが京都の史跡を巡った際の体験を綴っています。彼の独特な感性や表現が随所に散りばめられており、以下のような内容が読み取れます。
記事の主な内容
- 家康殿と秀吉殿との「対話」: Kisaraさんは、歴史上の人物である徳川家康や豊臣秀吉、その正室であるねねと「対話」していると表現しています。これは、史跡を訪れる中で、彼らの存在や思いを感じ取っている、という筆者独自の感性を示しています。特に醍醐寺や高台寺、圓徳院を訪れた際に、秀吉やねねの魂と深く通じ合ったと述べています。
- 自然との「正法眼蔵」: 醍醐寺や高台寺で、モズや鯉がまるで秀吉とねねの魂の象徴のように感じられたと表現しています。「正法眼蔵」という禅宗の言葉を用いていることから、ただ見るだけでなく、深い悟りを得たかのような心境を味わったことがうかがえます。
- 枳殻邸(渉成園)での特別な体験: 3度目の訪問となる枳殻邸(渉成園)で、閉門時間まで過ごし、梅園を独り占めできた喜びを語っています。ここでも、鳥や鯉との「対話」や、まるで自分を歓迎してくれているかのような出来事を描写し、自然との一体感を強調しています。
- 特別な写真撮影: 誰もいない梅園で、庭師と一緒に過ごす中で、誰にも撮れない「素晴らしい梅の写真」を撮影できたと自負しています。これは、単なる風景写真ではなく、その場所と一体となり、深い精神的な繋がりを感じたからこそ撮れた、という筆者自身の特別な視点を表現していると言えるでしょう。
家康殿の薦めに従って、今日は石川丈山ゆかりの場所を訪ねます。…私は、冗談ではなく(笑)、家康殿との対話は、読み返すたびに、感涙を禁じ得ないのです。
醍醐寺を訪れ、…翌日、更に訪れ、…三宝院の庭で、秀吉殿と、正法眼蔵した訳ですが、…秀吉殿との対話の始まりは、ねね殿の魂が今も生きている、素晴らしい寺院…高台寺、並びに、圓徳院での、ねね殿との正法眼蔵を通じて、既に、とても深く始まっているのです…。
何よりも、あの日、高台寺には、秀吉殿とねねさんが、居たのです…あの時、手を伸ばせば届きそうなほどの頭上には、何とも威厳のある風情の百舌が…長いこと、私を見守る様に居て、…その下の池には、それこそ永遠に寄り添う様にして、全く動かず、身を寄せ合っていた夫婦の鯉が居たのです。…色も実に見事だった…立派な体格の雄は黒々として、雌の方は見事なほどに鮮やかな赤と言うか黄色と言うか、鯉だった。
私は、これこそ、秀吉殿とねね殿であると、…二人と、正法眼蔵していたのだから(笑)
今日は枳穀邸に行って来たのですが…日本で一番幸せな男だったかも知れない(笑)…何故か?、此処にはこの3ヶ月位の間に3回も訪れた事に成った、その御褒美だろうか(笑)…此処の梅園は北野天満宮等には比べる事も出来ない、実に、こじんまりとしたものなのだが。
京都駅で遅い昼食を摂り2時前後に着いた…何と私は閉門時間まで居たのである…何故かと言うと入口ら直ぐの通路の生垣に在る、4本ほどの紅白の梅の木がなかなか良いので早速撮影に取りかかったら、いきなり、百舌が、「Kisaraさん、いらっしゃい」、と、目の前の梅の木と戯れてくれるではないか(笑)…今日は、タムロンの広角レンズで梅を撮りに来たのだったが。
うむ。と、リュックを下ろして、望遠に切り替えるのに手間取っていたら、「Kisaraさんたら、遅いんだから…あたしたちは、じっとしていられない性分だって知っているでしょうと、隣の高木の枝に移ってしまった(笑)
つまり、鳥に心奪われてしまったのである。…おまけに、そこが梅園だろうと思いこんでいた入口左の場所は梅林ではなかったので、一枚だけ撮って歩こうとしたら、水の中から、「Kisaraさん、いらっしゃい。待ってたよ」、と呼ぶ声が…見事な形の鯉たちが集まってくるではありませんか(笑)
そんなこんなで、梅園に着いたのは3時をとうに過ぎていた頃だろう…やがて、園内には誰もいなくなり、居たのは、私と、園内養生の係員の人たち4,5人だけとなった。…つまり、私は、此処の梅園を独り占め…普段は、誰も入れない中に、庭師さんたちと一緒に…庭師さんは右、私は左…庭師さんは庭の養生、私は梅と正法眼蔵。
今日、日本中の梅園で、こんな御褒美に与った者は私ただ一人だろう(笑)…つまり、誰にも撮れない、誰も気が付く訳がない…大体、私の写真とは、そういうものだが…素晴らしい梅の写真が撮れた…未だ再生も取り込みもしていないが、確かめなくても分かる。
絶品!(笑)…これは、メルマガの号外の様なものだけど、皆さんにプレゼント(笑)。これから、入浴しますので、これにて。