その後、やったことといえば、雨後のタケノコのような「対策本部」の立ち上げと、「役職」の乱発だ。

首相の「現地はワンクッション」答弁を論理破綻だと批判し、官邸が外資系コンサルに“東電破綻シナリオ”を依頼したとの報道を引きつつ、責任転嫁と対策本部乱立の非効率を糾弾。復興には早期の政治刷新と本気の現場主義が不可欠だと主張し、先人の奮闘史から勇気を汲み上げる。

2011年3月30日のブログ記事。筆者は、東日本大震災後の菅直人首相の対応を厳しく批判。首相の「現地情報にワンクッションある」という発言に対し、現地に常駐すべきだと論理的に反論している。また、週刊朝日の記事を引用し、官邸が東電に責任転嫁する「仰天シナリオ」を描いていると指摘。原発事故対応の非効率性や、首相の「引きこもり」状態を暴き、この危機を招いたメディアと政治家の罪を糾弾している。

首相は 「現地の様子はワンクッションを置いてしか(情報が)入らない。…。

2011-03-30
現地の状況を最低限把握するのが重要だ」と反論した。
ならば、今だって同じことなのだから、…首相は、現地に常駐して指揮を取るしかないはずだ。
そうしていない、そうせずに、それから、ずーっと、官邸に居ると言う事は、…ただの嘘つきである、という事にしか論理的にはならんだろう。
野党の議員と言うのも、…こんな論理の破たん=嘘にも、気がつかない頭脳なのだろうか。
何にしても、政治家たちは、皆、勘違いを改めなければならないのです。
あなたがたが国ではなく、貴方がた以外の99%が国であること、わたしたちが国であることを、気づかせる為に、史上最大級の人たちが死んでくれたのだと私は思う。
60数年前の、わずかな短期間に400万人もの人たちが死んでくれたから、今が、在る事を、すっかり忘れ去り、この20年を作り、…この首相を作り出す様な事ばかりを為し続けて来た、わたし達を目覚めさせるために、数万人の人々が犠牲に成ってくれ、数十万人の人たちが、じっと耐えてくれている…「美し国」そのものだった福島は、フクシマとかたかなに、成っても、ただひたすら耐えていてくれるのだから。
でも、福島を、福島のままに、出来たかも知れなかったものを、今の、レベル6の重大事故にまで至らしめた、現首相の罪は、決して許されるものではなく、
早期の退陣、交代を、わたし達は考えて、最良の者を、日本丸の船長に据えるべきなのだ。…それが、信長、秀吉、家康殿と同等の人物…マスコミの前でヘラヘラ恰好をつけるような事のみを考えている様な人物でないことは無論。

耐え難きを耐える…昨日発売の週刊朝日から。
ここは、掉尾の方に在るから、読み過ごす方も多いだろうと思うから、余計に。
外資系コンサルに「東電破綻」を依頼!? 責任逃れ官邸が描く〝仰天シナリオ″
震災発生から2週間がたとうとするある日、都内の外資系コンサルタント会社に極秘の要請が舞い込んだ。
 「東京電力が破綻した場合の『再生シナリオ』を作ってほしい」
 依頼主は〝政府筋″ー。ちょうど、東京の水道水から基準値を超える放射性物質が検出され、大騒ぎになっていたころの話だ。
 コンサル会社の関係者が声を潜めて言う。
 「発注は日本政府から、ということでした。東電は今後、廃炉にする原発の処分費用や、放射能汚染の補償など、とんでもない額を背負うことになる。東電だけでは払いきれません。その場合は国が補填することになるが、何かしらの理由付けをしないと世間の批判が官邸に集中します。つまり、官邸としては格好つけるために東電を潰したいが、国民から非難を受けないようなシナリオを作れ、ということですよ」 
なんと官邸は、原発事故が収束する見通しがまったく立たないのに、〝出口″を考えたシミュレーションを始めているのである。
 事実、徐々に布石は打たれている。枝野幸男宣房長官は3月25日の会見で東電の損害賠償責任を問われ、
 「安易に免責の措置が取られることは、この経緯と社会状況からあり得ない」と答えた。
 「つまり、まずは極力、東電が賠償金を負担し、足りない分を国で負担するということです。そうなれば必然的に、束電は国家管理の下に置かれることになります」(民主党関係者)その一方で官邸は、何かというと「東電から正確な報告が入っていない」と騒ぎ立て、すべての責任を東電に覆いかぶせようとしているフシがある。
…続く。 
事実、今に至るまで、官邸は震災や原発対応で後手に回り続けている。
震災発生の瞬間、国会ではちょうど参議院決算委員会が行われていた。
「そこで閣僚は全員、官邸に移動して菅首相を本部長とした対策本部をつくったんです。でも何も決まらない。そのうち津波が断続的に起こり、とりあえず様子を見ながら情報収集をしましょう、ということになったのです」(民主党議員) 
何も決まらない、だから何もできないーというのでは話にならない。
その後、やったことといえば、雨後のタケノコのような「対策本部」の立ち上げと、「役職」の乱発だ。
経済産業省の中堅幹部がこう言って呆れる。
「普通なら、災害系と原発系の二つの本部があればいい。それが、被災者生活支援特別対策本部や電力需給緊急対策本部、震災ボランティア連携室と、やたらと 『本部』や『室』がつくられ、蓮肪・節電啓発担当相に辻元清美・災害ボランティア担当首相補佐官、さらには馬淵澄夫・原発事故担当首相補佐官とポストができた。内閣官房参与も6人増やして総勢15人。彼らがバラバラに仕事を振ってくるので、まったく非効率です」
「対策本部」は何をやっているのか。官邸報道室や官邸内の危機管理センターに尋ねてみたが、当事者である彼らですら納得のいく説明ができない状況なのだ。 
一つだけハッキリしているのは、官邸も官僚も来電も、国民に事態の深刻さをちゃんと説明しようという気はさらさらないことだ。 
たとえば、連日の会見で、すっかりお茶の問でおなじみとなった経産省の原子力安全・保安院のスポークスマン、西山英彦・大臣官房審議官は、震災後しばらくしてから登場した。
…続く。
*立花よ、星よ、お前たちの罪は、海よりも深いぞ。…福島がフクシマに成ったのは、実は、お前たちが選んだ者が為した事のゆえ。

「西山さんは以前は、資源エネルギー庁電力・ガス事業部長でした。まさに原発振興の旗振り役のポストです。技術的には。ど素人”ですが、なんだか詳しく話しているように聞こえるから、こういう場面は適任ですよね。震災直後の会見に出ていた中村幸一郎審議官は原子力の専門家なので、当初から『炉心溶融していると思われる』などと言ってしまい、官邸や大臣官房の怒りを買って差し替えられました」(経産省関係者) 彼らが「大丈夫だ」「安全だ」と繰り返した結果が、いまの深刻な状況だ。いまさら責任のなすり付け合いをしても、国民にとっては同罪である。

菅首相も東電社長も〝引きこもり″姿見せぬリーダーに募る不安…週刊朝日から。
震災から2週間がたった3月25日夜、久々に会見を開き、「国民へのメッセージ」を読み上げた菅直人首相の目は、〝うつろ″だった。
「政府は、すべての能力を発揮する姿勢でー」
直前の会見(18日)から1週間、菅首相はぷっつりと姿を見せなくなった。震災前には毎日あった「ぶら下がり取材」にも応じず、記者たちからは「首相は何をしているのか」と疑問の声が上がっていた。
「首相動静」を見ると、17日までは連日泊まり込んでいたが、18日は午後9時47分に公邸に戻っている。以後、19日は午後8時半、20日午後9時39分、21日午後8時33分と、連日、〝有事″の最中とは思えぬ早い時間に〝帰宅″している。
「首相周辺によると、突然いらだったり、涙目になったりと情緒不安定になっているのは確かなようです。〝針のむしろ″になるのが怖いから表に出たくないのが本音でしょう。情けない話ですよ」(官邸関係者) 
久々の見せ場だった冒頭の会見にしても、「原稿は棒読みだし、強いメッセージや危機打開への指針もない。あれもこれもと対策本部や会議を乱立させたので、それぞれの役割分担が不明確になり、党内や官僚からも批判が噴出しています」(同前)
25日には、95年の阪神大震災当時の官房副長官で、震災直後の対策に当たった石原信雄氏を官邸に呼び、対応の指南を受けた。これも苦笑の種になっている。
…続く。
苦境打破した先人の奮闘…外貨を稼いだ男たち 小島英俊〈著〉
(文中敬称略)
管直人と海江田は、総辞職してもらった後に、福島がフクシマに成ってしまったことに対して、証人喚問を為すとして。…この内閣を見さされ続ける事の苦痛を、以下の、文章で、吹き飛ばして下さい。
外貨を稼いだ男たち 小島英俊〈著〉 朝日新聞3月27日、読書欄。
苦境打破した先人の奮闘
戦後の高度成長期を経て、日本は巨額の貿易黒字を毎年計上する国になった。外貨準備はここ数年1兆ドルを超えている。そういった状態に慣れている現代の我々は、明治維新後の日本のビジネスマンが「外貨を稼ぐ」ために大変な苦労を積み重ねてきたことをつい忘れがちである。
当時の日本の商社、銀行、製造業等の海外駐在員の「汗、涙、喜び、悲しみ、ときめきなどを少しでも追体験し、それらをできるだけ楽しく、読みやすく表現したかった」と本書の著者は述べている。
幕末開港後に貿易は急拡大したが、「甘い汁はほとんど外国に吸い取られて」いた。その状況を打破すべく、多くの企業が海外を目指した。当時の日本人の積極果敢さには驚かされる。明治維新のたった13年後には、ニューヨークに支店を持つ商社は10社、駐在員は31人に上ったという。
1917年ごろには早くもロンドンに「いく稲」という日本食屋が開業し、駐在員が集まっていた。
*この1917年というのは、芥川龍之介に深甚な影響を与えた年…レーニンが、人類史上初めて共産主義の国家をロシアに打ち立てた年で、…彼は、労働者の国が出来た以上、知識人の役割も終わったと考えた…私は、この事も龍之介が自殺する一因となったと考えているのであるが。
日本から欧州へは船で35日もかかる時代だっただけに、彼らの望郷の念は非常に強かっただろう。
しかし、彼らの努力もあって、「明治から終戦までの間、日本は頑張って未開国から何とか一流半国まで這い上がってきた」。
 本書で描写された先人たちの奮闘ぶりは、東日本大震災からの復興を目指す今の我々に、勇気を与えてくれるだろう。
(朝日新書) 評者:加藤出(エコノミスト)

小泉の規制改革は、実は、無数の悪を、世に生み出しているのだと言う事も、マスコミは…。
小泉の規制改革は、実は、無数の悪を、世に生み出しているのだと言う事も、マスコミは知らないのだろうな…拝金主義に走って、一時は、大儲け、転落したら、殆ど、企業舎弟…そういう者たちが、小泉改革以降、どれだけ世に放たれてしまったか。
皆さま方も気を付けて下され…初対面の者に注意しなはれ、テレビ的な笑いを振りまいて現れる者に注意しなはれ、一見、豪快そうな、屈託がないような態度で、あなたを大いに笑わせたりするような相手には、注意しなはれ。
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当初は、閖上中学三年三組に所属していた私が、学校新聞に掲載依頼を受けて書いた、アンドレ・ジイドの「狭き門」についての感想文…あまりにも長過ぎて、ボツになった物…をアップするつもりでしたが…これは5月3日以降の号にアップします…勿論、アップする値打ちが有ると思うからです。(笑)
決して、単なる中学3年生の文章というものではないと、我ながら思っているので。

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