日本経済をダメにした「現状維持」を変える時~事実より「無難」を追求する大メディアの自主規制

日本経済をダメにした「現状維持」を変える時②  2011年6月8日号ニューズウィークより。
自動車爆弾はイスラム原理主義勢力の専売特許、というわけでもない。中国南部にある江西省撫州市の市関連庁舎で先週、自動車爆弾が爆発。容疑者を含む3人が死亡した。
…中略
容疑者の男は市による自宅の強制撤去に強い不満を持っていたといい、事件前にはメールで友人に「爆発事件が起きるからニュースを見ておけ」と言い残していた。
中国では「地上げ」で安く手に入れた土地の売却益が地方政府の重要な収入源になっている。土地を取り上げられた庶民の恨みは強く、デモや暴動が頻発。見かねた中央政府が最近、違法な強制収用を禁止する通達を出したが、それでも暴力的な強制立ち退き事件が続いていた。
きのこ雲が上がるほど強力な爆弾の材料を男がどこから手に入れたかは不明。中国では過去にバス爆破事件はあったが、強制収用に抗議しての自動車爆弾は異例だ。庶民の怒りはもはや限界に達しつつあるらしい。
長岡義博(本誌記者)

事実より「無難」を追求する大メディアの自主規制  田原聡一郎 2011年6月3日号週刊朝日から。
「PTSD」(心的外傷後ストレス障害)という言葉を、新聞でもテレビでもよく見かける。特に東日本大震災で、東北の多くの被災者がこの疾患に悩まされているようだ。
PTSDは、地震、津波、火災のような災害で、危うく死にそうになる、あるいは重傷を負う、または親や子ども、夫、妻などの家族を失った人々を襲う不安障害だ。恐怖の光景が心に焼き付いて、うっなどの精神疾患になる、不安な気持ちが高ま
つて眠れない、災害関連の一切を排除したいがために引きこもりになるなどの症状が生じるのだという。東日本の被災者たちにとって、PTSDは生易しい問題ではないだろう。
だが、こんな言い方をすると批判を浴びるだろうが、PTSDがあまりにやかましく言われるのは困る。
先日、テレビでオサマ・ビンラデイン殺害の特集番組を作るにあたって、ニューヨークの世界貿易センタービルに自爆テロの航空機が突っ込む9・11事件の映像を使いたいとスタッフに頼むと、「いまテレビ番組では、その映像は使えません」と言われた。
私はこれまでに、その映像をテレビ番組で何度も使ったことがある。だが、そのことを言っても、「現在はPTSDでダメなのです」という答えであった。あまりにも衝撃的な映像なので、特に事件の関係者たちに・不安障害を引き起こす恐れがあるのだというのである。少なくとも、日本のテレビ局はどこも使わないはずだと念押しされた。
そういえば、東日本大賞災で、大津波が人々を襲うシーンや、遺体が運ばれたり、並べられている映像などはほとんどテレビに出てこない。いずれもPTSDの恐れがあるために、自主規制しているのだという。
確かにPTSD規制はある程度は必要だろう。だが、PTSD規制があまりに拡大されると、重大な事件や出来事を、決め手となる映像で国民に伝えることができなくなってしまう。それどころか、衝撃が大きい、強烈すぎるという規制が強まると、言論の自由を束縛することになる。
このままでは、自由に発言、表現できるメディアが、ニコニコ動画やユーストリームといったインターネットメディアに限られ、テレビでは無難な言葉で無難な表現しかできないということになりはしないか。
東日本大震災の現実を伝えるためには、津波の映像は必要だし、アップは避けても、遺体を運ぶ映像も必要である。いわんや9・11事件の世界貿易センタービルの映像を使用禁止にするなどというのは、明らかに行き過ぎだ。
もう一つ、気になる言葉がある。
「コンプライアンス」だ。法令順守という意味だが、現在のメディアでは「無難」を追い求める言葉となっている。 
たとえば、福島第一原発の事故では、1、2、3号機のメルトダウンは、1号機の水素爆発の時点で少なからぬ専門家がつかんでいたことであった。
だが、ほとんどのメディアがそのことを指摘する専門家は登場させず、中途半端な、政府発表の範囲を出ない人物ばかりにコメントを求めてきた。いまは言論統制などないにもかかわらず、メディアは大本営発表ばかりを報じ続けてきた。 
コンプライアンスによって、事実の追求ではなく、無難の追求になってしまうのだ。それにPTSD規制が重なるのは、好ましくないことである。

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