レヴィ=ストロースの思想の核心を探る—「夜と音楽」が示す謙虚な感性
文化人類学者レヴィ=ストロースの思想の核心を、今福龍太氏の著書『レヴィ=ストロース 夜と音楽』の書評を通して探ります。彼の思想が、視覚に頼る「傲慢」な現代人とは対照的に、聴覚を研ぎ澄まして「生命のざわめき」を聞き取ろうとする「謙虚な感性」に根ざしていると指摘。交流エピソードや『悲しき熱帯』の再読を通じて、彼の「地上的なるものへの愛惜」が持つ現代的な意味を問い直します。
「レヴィ=ストロース 夜と音楽」今福 龍太著…日経新聞8月14日20面より
2011年08月14日
生命のざわめき聞きとる試み 立命館大学教授 渡辺 公三
文中黒字化は私。
現代思想を根底から問い直し、2009年に101歳の誕生日まで1月ほど残して亡くなったレヴィ=ストロースの達成した仕事の深さと広がりは、何度も測りなおされてゆくだろう。
南北アメリカの神話研究、その方法序説ともいえる『野生の思考』、そして何よりも、民族誌と旅の省察の詩的総合としての『悲しき熱帯』。
そうした作品が私たちに伝えようとするものの核心を、著者は、南北アメリカの先住民の思考との対話で研ぎ澄まされたレヴィ=ストロースの感性の源泉を見極めることで確かめようとする。
「見極める」というのは不正確だ。
表題が示すとおり、夜の帳とともに後景に退く視覚を包みこむ夜の響き、世界を満たす生命のざわめきを聞きとることが問われるのだ。
本書はその試みの見事な達成だ。
著者は、レヴィ=ストロースがインディオから学び、同時代人との交流のなかで持続した、「見る」ことよりも、耳を澄ますことの、ある受動性を孕んだ世界への謙虚な対し方と人間の奢りへの苛烈な批判を、作品のささやかな細部や、交友の小さなエピソードをきっかけとして読み解いてゆく。
「彼・・・が・・・隠し置いていった、知の贈り物としての『種子』を…拾い、それを新たな未来という大地に蒔こうとした」
本書の試みのなかでも、思想家シモーヌ・ヴェイユ、画家エルンストや、アニタ・アルブスとの交流の叙述は、著者ならではの発見の喜びに満ちている。
とりわけ『悲しき熱帯』が記念すべき第1巻となった「人間の大地」叢書を手がかりに探求されたレヴィ=ストロースにおける「大地性」の考察は、スプートニクとアポロ計画の時代に書かれた『悲しき熱帯』の根源的批判の射程をとらえて説得力がある。
その末尾でレヴィ=ストロースが訪れたベンガルの仏教寺院で靴を脱いで登った小山の「水に濡れた、肌理細かな粘土」の感触にふれながら、著者は「地上的なるものへのこの深い身体的愛惜」こそ、この思想家の大地的感性の源泉だったという。
今、それはまさに、汚染土の現実に直面して私たちが問い直すべきものではないか。