イスラム主義という幻想—アラブの春が暴いた独裁とテロの真実
モロッコ出身の作家タハール・ベンジェルーンが、アラブの春の現状とイスラム主義の失敗について論じます。独裁者が権力を維持するための口実だった「イスラム主義の台頭」が幻想であったことを指摘し、アルカイダの凋落と民主化を志向するムスリム同胞団の台頭を分析。中東地域の複雑な状況を描き出しつつ、権力を失うことを恐れる独裁者が追放される未来を予言します。
イスラム主義という幻想 …Newsweek8月10,17日号より
2011年08月15日
アラブの春はまだ終わらない タハール・ベンジェルーン(モロッコ出身の作家・詩人)
…前略。
カダフィが自らを独裁者と見なしたことはない。カダフィは異常ではなく、病んでいる。それもずっと前からだ。「(セルビアの独裁者スロボダン・)ミロシェビッチと異なり、カダフィには退陣以外に交渉するテーマがない。
そのせいで退陣はより不確実になっている」と、戦略研究財団(フランス)のフィリップーグロー研究員は先頃、仏紙ルモンドで語った。アラブの春は真夏の今も続いている。最大の勝利の1つがイスラム主義の失敗だ。
ペンアリやムバラクが権力の座に居座り、欧米と取引することができたのはイスラム主義の台頭という口実があったからだ。だが今や、それは幻想だったことがはっきりしている。
イスラム主義は独裁体制への民衆の抵抗に役割を果たさず、その影は薄くなった。イスラム主義者はチャンスを逃しただけでなく、チャンスが来たことも見抜けなかった。その戦略は時代遅れになり、アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンと彼が作り出した幻影は死んだ。
エジプトでは、イスラム教スンニ派組織ムスリム同胞団が政党を結成し、民羊王義の規則を受け入れようとしている。イスラム圭義は数多くの運動の1つだ。ほかの運動と同じく存在する権利を持つが、それは民生王義の法と規則の範囲内においてでなければならない。
ビンラディンの死はテロの終焉ではない。頭のおかしい人物、あるいは集団が爆弾で無実の人々を殺害する事件はこれからも起きる。だがテロを起こすのは難しくなるだろう。人々が警戒を怠らず、警察が治安を最優先事項にしているからだ。ただし、どこかの政府が民主化を阻止すべく、テロ組織を利用しようとすれば話は違ってくる。
それでも独裁は終わる
アラブ世界のような場所はほかのどこにもない。ここには団結も共通する見解もなく、偽善がはびこっている。険悪な仲のモロッコとアルジェリアの国境は閉鎖され、チュニジアは隣国リビアを警戒し、シリアはあらゆる手段を駆使して体制維持に努める一方で、恒常的に治安が不安定なレバノンを再び支配下に置こうと狙っている。
戦争の傷が癒えないイラクでは、今もテロが市民の命を奪っている。スーダンでは不安が渦巻き、イエメンでは政権が崩壊しかけている。
こうした騒乱を横目に、イスラエルは入植政策を強化してパレスチナとの融和を拒み、アメリカの提案を棚上げにしている。イスラエルの望みは、中東における民主主義国家の座を独り占めすることだ。
和平に背を向け、あらゆる解決策を拒否するイスラエルを、反体制運動に立ち上がったチュニジアやエジプトの市民は攻撃しなかった。幸いなことに、イスラエルとパレスチナの民衆はデモを展開して和平交渉を要求している。それでもイスラエルの現政権はパレスチナ自治区への入植政策をやめようとしない。
これが、騒乱のさなかにあるアラブ世界についての私なりの解説だ。反体制の動きがどこで始まり、どこで終わるのか、新しい土地を前にした地図作成者のように確信は持てない。
アラブの民衆の覚醒が終わっていないのは確かだ。だが恐怖する側は入れ替わった。いま恐れを抱いているのは、正統性のない権力を握る独裁者のほうだ。
彼らは追放されるだろう。アラブ世界はいずれ、国民を虐殺してでも権力にしがみっく狂人たちから自由になる。そして虐殺もまた、過去のものにならなければならない。