金融大国日本への提言:個人資産を活かし、世界を救う21世紀型資本主義を築け

金融大国・日本の使命 ― 文明のターンテーブルが廻った国の責任;
トヨタ事件に象徴される米国の理不尽な姿勢を超え、日本は米国と並ぶ文明の担い手として170年間、世界を支える使命を負う。十兆円規模の市場投入と百兆円規模の株式取得により、真のエリートと勤勉な労働者を守り、21世紀型の資本主義を築くべき時が来た。金融大国・日本の役割を明確にする論考。

2010年の警告:トヨタ事件から見抜く米国の「愚かしさ」と日本の「喫緊の課題」;
2010年、トヨタのリコール問題に端を発した米国の「愚かしさ」を批判し、日本の「失われた20年」の背景にある問題を考察。世界最高の技術と勤勉さを持つ日本の大企業を守るため、個人の金融資産を社会に還元する「21世紀型資本主義」への転換を提言しています。

金融大国になること…2010年7月22日。「文明のターンテーブル」p34から。
前文略。
先般のトヨタの事件は、「何だ、これは。マッカーシーの赤狩りと一緒じゃないか」と、僕は、中西部のおばさんが議会で証言していた場面をTVで観た時、即座にそう思いました。
それと米国にも票目当ての政治屋は、たくさんいるのだと思った。
日本の戦後65年を牽引してきた代表選手であり、今や世界的な大企業であるトヨタは、車を運転したことがある人間なら誰でも最も優秀な車の代表でもあると知っているはずです。
Mercedes‐Benz、BMWのドイツですら、細部も疎かにしない日本車、何よりもドアの隙間の驚異的な狭さに驚嘆し、真似たほどなのですから。
そのような世界的な大企業であり、日本を代表してきた企業の社長を、あのように下卑た、一方的な問責の場に晒すなどということは、二度としてはいけないのです。
日本を訪れた米国運輸長官の態度に、65年前の日本に対する態度に似た匂いを感じたのは僕だけでしょうか?
僕のこの文章は世界中の出来るだけ多くの人に読まれるべきなのです。
そうすれば、世界はThe Turntable of Civilizationが日本に廻っている事を理解することが出来るでしょう。
日本は、明日にでも、あるべき地位、米国と並列する(正確には補完する)経済を有した国として、
あるいは米国と並ぶ文明における世界の覇権国として、あと170年、世界のために貢献できると確信しています。
次は多分ブラジル、それからすぐか、あるいは、その次かに、アフリカに「文明のターンテーブル」が廻るまでは、本当の意味での地上の平和は存在しません。
後略。

金融大国になること…2010年7月22日。「文明のターンテーブル」p35から。
似非モラリズムに時間を弄している場合ではないのです。
まず十兆円を毎日の市場に、同時に百兆円を、日本が世界に誇る優秀な技術を持った、たくさんの大企業の株取得に誘導すること。
時代遅れで屁のような、意図的に一票の格差を放置して来た政治屋が、この個人資産を我田引水するような時代は、とうに終わったのですから。
この富を作ってくれた大企業、10%の正しいエリートと90%のいわゆる労働者の集合体のことです。
温故知新を知性の基本として、日夜研究、技術の革新に努めて来た真のエリートと、勤勉で細部も疎かにしない、世界有数の美的感覚を持った労働者。
つまり、国民に恩返しをして、支え、泥棒男爵たちのいたずらな強欲や、相手国の国益益優先からの理不尽な非難から守って上げる、それが、今、日本がなすべきことである。
政治家や官僚の好きな言葉で言えば、それが喫緊の課題です。
資本主義とは、その名の通り、人間がいない主義、人間が主人公の主義ではありません。
私たちはどこにいるのか?
民主主義、その名の通りここにいるのです。
いつまでも二十世紀の資本主義に囚われている必要はないのである。
21世紀型の資本主義を世界一の個人資産を持っている国が作り上げても、誰も文句は言わないどころか、そうすることが、既述した通り文明のターンテーブルが廻った国、日本としてなすべきことのはずです。
米国も、今度は大歓迎はしても文句は言いません。
たとえ、文句を言ってきても今度ばかりは聞く必要もないのです。
米国と日本は、これから170年間、一緒に、世界を救って行くのですから。
世界を救うのに、最も大事なものの一つである経済を大事にして。


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