6/17に訪れた三室戸寺には、この日野有範の廟が在るのである。

誕生 法界寺

承安3年(1173年)4月1日(グレゴリオ暦換算 1173年5月21日に、現在の法界寺、日野誕生院付近(京都市伏見区日野)にて、皇太后宮大進 日野有範(ありのり)の長男として誕生する。母は、清和源氏の八幡太郎義家の孫娘の「吉光女」(きっこうにょ))とされる。

*6/17に訪れた三室戸寺には、この日野有範の廟が在るのである。

幼名は、「松若磨」、「松若丸[3]」、「十八公麿[4]」。

治承4年(1180年) – 元暦2年(1185年)、治承・寿永の乱起こる。

治承5年/養和元年(1181年)、養和の飢饉が発生する。洛中の死者だけでも、4万2300人とされる。(『方丈記』)

戦乱・飢饉により、洛中が荒廃する。

得度

青蓮院(宸殿)お得度の間   *青蓮院は芥川が好きな場所で、何十回と訪れている場所なのである。

治承5年(1181年)9歳、京都青蓮院において、後の天台座主・慈円(慈鎮和尚)のもと得度し、「範宴」(はんねん)と称する。

伝説によれば、慈円が得度を翌日に延期しようとしたところ、わずか9歳の範宴が、「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」と詠んだという。無常感を非常に文学的に表現した歌である。

…以下続く。

2012/6/16、京都府立植物園にて。

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