親鸞…ウィキペディアから。
建久3年(1192年)7月12日、源頼朝が征夷大将軍に任じられ、鎌倉時代に移行する。
六角夢告
建仁元年(1201年)の春頃、親鸞29歳の時に叡山と決別して下山し、後世の祈念の為に聖徳太子の建立とされる六角堂(京都市中京区)へ百日参籠を行う。そして95日目(同年4月5日)の暁の夢中に、聖徳太子が示現され(救世菩薩の化身が現れ)、
「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」
意訳 – 「修行者が前世の因縁によって女性と一緒になるならば、私が女性となりましょう。そして清らかな生涯を全うし、命が終わるときは導いて極楽に生まれさせよう。という偈句(「「女犯偈」」)に続けて、「此は是我が誓願なり 善信この誓願の旨趣を宣説して一切群生にきかしむべし」の告を得る。
この夢告に従い、夜明けとともに東山吉水(京都市東山区円山町)の法然の草庵を訪ねる。(この時、法然は69歳。)そして岡崎の地(左京区岡崎天王町)に草庵を結び、百日にわたり法然の元へ通い聴聞する。
…後略。

2012/6/16、京都府立植物園にて。