親鸞…ウィキペディアから。②

入門

法然の専修念仏の教えに触れ、入門を決意する。これを機に法然より、「綽空」(しゃっくう) の名を与えられる。

親鸞は研鑽を積み、しだいに法然に高く評価されるようになる。

『御伝鈔』には、「吉水入室」の後に「六角告命」の順になっているが、『恵信尼消息』には、「法然上人にあひまゐらせて、また六角堂に百日篭らせたまひて候ひけるやうに、また百か日、降るにも照るにも、いかなるたいふ(大事)にも、まゐりてありしに、…」とある。

一般に『御伝鈔』の記述は、覚如の誤記と考えられる。同様に「六角告命」「吉水入室」ともに、建仁3年と記されている写本があるが、これも建仁元年の誤記と考えられる。(西本願寺本は、「六角告命」のみ建仁3年と記される。)

元久2年(1205年)4月14日(入門より5年後)、『選択本願念仏集』(『選択集』)の書写と、法然の肖像画の制作を許される。

法然は『選択集』の書写は、門弟の中でもごく一部の者にしか許さなかった。

この頃、親鸞より法然に改名を願い出て、「善信」(ぜんしん)と名告ることを許される。

…後略。

この写真も良いねぇ。 あたしたちを観ても、Kisaraさんの、「文明のターンテーブル」、を購読しなかったら、もう救いようがないわね。きっと、地獄で閻魔大王様の裁きを受けるだけの人間よ。そういう唐変木は。


2012/6/16、京都府立植物園にて。

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