天智天皇…ウィキペディアから。③
百済が660年に唐・新羅に滅ぼされたため、朝廷に滞在していた百済王子・扶余豊璋を送り返し、百済復興を図った。
百済救援を指揮するために筑紫に滞在したが、斉明天皇7年7月24日(661年8月24日)斉明天皇が崩御した。
その後、皇太子・中大兄皇子は長い間皇位に即かず称制したが、天智天皇2年7月20日(663年8月28日)に白村江の戦いで大敗を喫した後、同6年3月19日(667年4月17日)に近江大津宮(現在の大津市)へ遷都し、翌同7年1月3日(668年2月20日)、漸く即位した。
同年2月23日(668年4月10日)には、同母弟・大海人皇子(のちの天武天皇)を皇太弟とした。
しかし、同9年11月16日(671年1月2日)に第一皇子・大友皇子(のちの弘文天皇)を史上初の太政大臣としたのち、同10年10月17日(671年11月23日)に大海人皇子が皇太弟を辞退したので代わりに大友皇子を皇太子とした。
…以下続く。

2012/5/27、三井寺にて。