日本も、中国はひどいことする国だって分かってるんだけども、政府開発援助(ODA)を長年にわたって三兆円以上も中国にあげるわけですよ。
2019/10/20
以下は前章の続きである。
メディアが中国の膨張を許した
斎藤
天安門事件の時に戻るけど、あの後、徹底的に批判して、天皇訪中を絶対許すなっていう論調を張って、中国の首根っこを押さえていれば…。
あの時が最大のチャンスだったわけです。
この三十年間、あれが踏み台になって中国はとんでもなく増長した国になった。
日本が許しちゃったわけです。
マスコミが許したと言ってもいい。
根底から中国を崩すべきだった。
高山
あのときに気づいていればよかった。
中国というのはモンゴルや鮮卑や満州民族に統治されて奴隷にされている時代が実は一番幸せだった。
同じ漢民族が支配すると明や今の中共政権の下では民は決して幸せにはなれないと歴史が教えているよ(笑)。
斎藤
国際的にも、アメリカも日本も甘かったんだと思いますね。
天安門事件っていうのは共産党政権の正体そのものを見事に世界にさらしたんだけども、当時の世界はソ連が崩壊しようとしていた時たったわけです。
東欧がカラカラと音を立てて崩壊していった。
あの二年後にソ連も崩壊。
だから、共産主義っていうのはある程度、ものを与えて経済的にも外交的にも緩くしてやれば、普通の国になるんではないかという理解になってしまった。
高山
手なずけられる。
斎藤
手なずけていけば普通の国になってくるんだというので、アメリカも、長年の中国ウォッチャーのピルズべリーが『China 2049』で反省したじゃないですか。
高山
一生懸命、中国にのめり込んでたんだよね。
斎藤
日本も、中国はひどいことする国だって分かってるんだけども、政府開発援助(ODA)を長年にわたって三兆円以上も中国にあげるわけですよ。
いずれはまともな国になるだろうっていう腹があってのことだけど、米国と一緒に中国をここまで増長させた。
自分たちが栄養を与えちゃったんです。
田北
メディアにも責任の一端が…
高山
平成の御代に天皇の訪中を実現するかどうかは、日本のメディアが目覚めて反対したところで大勢は動かなかったと思う。
米国もその気だった。
結局、日本はいいように使われ、知恵も金も与えたんだよ、中国に。
斎藤
実際、当時の中国は貧しかった。
それから、日本が戦争中に「いじめた」という贖罪意識ね。
高山
そういう噓を創ったんだよ。
斎藤
大きな流れからいくと、一つ目は、戦後の「ウォー・ギルトーインフォメーションープログラム (WGIP)があって、マッカーサーが徹底的に日本人の文化・伝統を骨拔きにしちゃった。
二つ目は共産主義思想。
戦前からあったんだけど、戦前は取り締まり対象だった。そして三つ目は、過度の贖罪意識。
この三つに朝日や毎日といった左派新聞メディアが乗っかったわけですよ、ものの見事に。
商業的にもすごく潤った。
そんな中でちょっと待てよと、できたのが正論路線なんですよ。
でも、世間が相変わらず、朝日系な主張に溺れ続けちゃったわけだ。
正論路線は今こそしっかりしなきゃいけないというのは大命題なんですよ。
田北
そんなに正論路線を持ち上げられても…。
斎藤
持ち上げたんじゃないよ。
「正論」もちょっと偏ったところがあるんでね。
ロシア叩きが甘過ぎるとか。
田北
…昔から、大勢というものと異なる立場を取ってきた高山さんですが、高山さんのような声は主流にはならなかったことをどう思いますか。
高山
こっちはまだ若造の新聞記者だったしね。
あのころから中東やアジアに出て、世界の広さ、腹黒さがだんだん分かってきた。
石の上に三年というけれど記者は三十年やって初めてモノの遠近が見えてくる。
あのころはまだ二十九年目くらいだった。
斎藤
高山さんはイランで私の後任。
高山
そうだったね。
斎藤
雑談だけど、空港に迎えに行ったの、大先輩ですから。
そしたら、でかいリュックをしょってて、「ゴルフ道具だよ」って(笑)。
イラン・イラク戦争の最中のイランに、ゴルフ場なんてないですよって言ったら、
「おまえ、知らないんだな、あるんだ。シャーハンシャーゴルフクラブというのが」つて。
本当にあった。ちゃんと調べてた(笑)。
高山
イランはゾロアスターからイスラムまで宗教を勉強するには最高のところだった。
それに戦争を生で見られたのは本当にいい経験だった。
田北
最近の記者はかつてのような戦争取材の経験をする機会がありません。
高山
僕は二年以上、戦争中のイランにいた。
宗教支配の異常さも知った。
あるときホメイニをちょっと揶揄する記事を書いた。
そしたら宗教法廷で予備審問を受けパスポートを取り上げられた。
国外追放か刑務所入りかになると脅された。
結局、バスラ攻防戦の最前線取材に行くことで許された。これは結構、すごかった。
ミタルサム(怖いよ)って戦場を逃げ回った記憶がある。
斎藤
戦場に行くっていうのは覚悟が要るんですよ。
高山
僕の後任はイランに続いてルーマニア解体の取材に行って狙い撃ちされた。
幸い弾は靴底を抉っただけで済んだ。
戦場もそれなりに危なかったけれどボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のころから、取材記者が故意に狙われるようになった。
記者の記事で悪者にされたりする。
それも腹立つが、BBCや米紙記者を殺すと、それだけで大きな国際記事になる。
住民を百人殺すより新聞記者一人を殺したほうがニュースになった。
それでやたら新聞記者を狙い始めた。
あれから戦場取材っていうのはだいぶ形態が変わってきたと思う。
だから戦争報道も硝煙がはるか遠くに見えるホテルの窓から観戦するだけになったんじゃないか。
斎藤
戦争と、時代の変わり目ですよね、
ソ連の崩壊のような。
学者みたいに頭の中で考えて文章だけ読んでるのとは違って、現場に行くと地に足が着いて見れる。
取材で突っ込むべきか、いや、ちょっと引くべきかなっていうのが分かるんだよ、肌で。
高山
なんでも見てみようというのが新聞記者なのに最近は戦場どころか実社会も知らない記者が多すぎる。
田北
「マスゴミ」とか言われています。
斎藤
正体が分かってきたからでしょう。
さっき言ったように、世間が毒される要素の三つが相まって日本のマスコミを毒してきたと思う。
でも、この三つの正体が分かってきたのはまだここ数年ですよ。
そんな中で、ネット右翼、いわゆるネトウヨっていわれる人を知っているけど、素朴な愛国心みたいなのがあるんですよ。
俺は日本人だ、と。
日本で生まれたのに、なんで変な体制の中国や北朝鮮や韓国にでかい面をさせているんだと。
なんで?って、たまにそんなことを聞かれる。
高山
それは正常だね。
この稿続く。