つまり未だに日本は侵略国家だ、南京大虐殺をやったとか言い立てているのはジョン・ダワーとかフランクフルト学派に連なる連中とその機関紙ニューヨーク・夕イムズだけということだ。
世界が注目する中で発表された安倍晋三首相の「戦後70年談話」をめぐり、高山正之が米国・ロシア・支那・韓国それぞれの“後ろめたい歴史”と反応を掘り起こしながら、日本を取り巻く戦後構造を読み解く評論を紹介する章。原爆投下やシベリア抑留、蒋介石の裏切り、朝鮮半島統治の歴史、そしてジョン・ダワーやフランクフルト学派、ニューヨーク・タイムズなど戦後日本像を固定してきた知識人・メディアの存在までを射程に収め、談話に潜む各国への“刺”と現代日本を包囲する言説空間の正体を浮かび上がらせる。
世界が注目する中、安倍晋三首相が戦後70年の節目の談話を発表した。実を言うと世界のどの国もドキドキして見守っていたらしい。
2024年06月10日
実を言うと世界のどの国もドキドキして見守っていたらしい。
2015年10月16日
今月号の月刊誌「正論」で、冒頭の≪折節の記≫というのを読んでいたら、あれ、これは高山正之の論説ではないのかと思った。
何故なら、まず、彼は中国については支那という表記で通していることと、その論説が、いかにも硬骨漢そのものだったからである。
文中強調と*~*は私。
世界が注目する中、安倍晋三首相が戦後70年の節目の談話を発表した。
実を言うと世界のどの国もドキドキして見守っていたらしい。
例えば米国。
もしかして安倍首相がロシアのフランツ・クリンツェビッチ議員のように原爆はホロコーストに並ぶ戦争犯罪だとか言い出さないか。
そのロシアも傲慢なスターリンがバビロンの王様気取りで日本人70万人をシベリアで奴隷にして、その非道を隠してきた。
虜囚にして謝罪もしていない。
支那もそうだ。
蒋介石はフランクリン・ルーズベルトにかしずいてアジアを見捨てて白人側につき、日本の足を引っ張り続けた。
ルーズベルトはそのご褒美にベトナムと香港と台湾をやろうと蒋介石に言っている。
蒋に代わってオリバー・スタンリー英植民地相に掛け合ったさまがC・ソーンの「米英にとっての太平洋戦争」に出ている。
大統領が「あそこは支那からちゃんと買ったのではないですね」と聞く。
阿片戦争で脅し取ったんだろう、返してやれよという仄めかしだ。
「ええ、(米国がメキシコをだまし討ちにして領土を取った)米墨戦争のころでしたか」と植民地相が答える。
お前も結構薄汚い手を使っているくせに。
気取るな、オランダ野郎がという意味だ。
*ということは、フランクリン・ルーズベルトの家系はオランダ人ということかと検索してみたら、その通りだった。
全く、高山正之の硬骨漢ぶりというか、その事情通ぶりには、笑ってしまうほどである。*
で、香港はあきらめ、ベトナムはド・ゴールが睨みつけたので、結局、台湾だけで蒋は我慢した。
そういう70年前の裏切りを安倍首相が指摘したら「抗日戦争勝利は近代以来の外敵に対する初の勝利だった」なんていう習近平の嘘は消し飛んでしまう。
韓国も然り。
領土欲に目がくらんだ英米ですらその民度の低さにあきれ、米国は李氏朝鮮の懇請も振り切ってさっさと在京城(ソウル)の公館を閉じて、つまり外交を謝絶して引き揚げている。
日本はしょうがない、世界に見捨てられた彼らの面倒を見て内鮮一体の待遇を与え、学校を建て、電気を通し、鉄道を敷いてやったが、今はやれ植民地支配したの強制連行したの虐待されたの。
そういう忌まわしい過去を安倍首相がもしかしたら暴くかもしれない。
そう言われてもしょうがないくらい韓国人たちはしつこく嘘をつき続けた。
どの国も固唾を飲んで見守る中、談話は日本人らしい上品さで語られた。
米国は原爆や押し付け憲法を含めた悪行をほぼ素通りしてもらって「いや素晴らしい。品格と威厳がある」(J・プリシュタップ米戦略研上級研究員)と安堵を語る。
しかし談話は決して無害ではなく、それぞれの国にぐさりくる言葉が忍ばされていた。
韓国、支那に「自由、民主、人権という基本的価値観」の欠落を指摘し、ロシアのシベリア虜囚のあくどさも厳しく指摘している。
それ以上に談話に対する各国の反響が面白く、今の日本を囲む状況がかなり見えてきたことだ。
ジョンズ・ホプキンス大教授のケント・カルダーによると米国は戦後ずっとミズーリ号で降伏調印された9月2日を対日戦勝記念日として独立記念日並みに盛大に祝ってきた。
言い出したのはトルーマンだが、彼が72年に死ぬと、3回忌を済ませた76年から国家休日をやめ、ただの日に戻してしまった。
「大方の国民はもう日本と戦争したことも覚えていない」と。
つまり未だに日本は侵略国家だ、南京大虐殺をやったとか言い立てているのはジョン・ダワーとかフランクフルト学派に連なる連中とその機関紙ニューヨーク・夕イムズだけということだ。
*ここで私と同様に現実社会の中で、実業界の中で生きて来た人たちは、しからば、フランクフルト学派とは、何か、と思うはずである。それについては次章にて*
この稿続く。

2024/6/7 in Nagoya