占領軍史観を内面化した日本の報道機関――平川祐弘氏が明かす“歴史認識の受動的移植”の正体
連合国主導の歴史観が占領期の日本でいかに浸透し、報道機関がそれをあたかも自家発の思想として語り始めたのか。平川祐弘氏は、心理学的比喩を用い、その内面化の実態と日本人が失った主体性を鋭く指摘する。
2020/6/20
月刊誌正論今月号で読み残している箇所がたくさんあった。
今朝、平川祐弘さんの連載(長文である)を読んでいた時に、これは今の中国そのものだな、と思った箇所があった。
最後に平川さんがまとめて掲載している註の中に、私の思いが正鵠を射ていた事を証明する箇所があった。
本稿では、それらの箇所と、日本国民全員が知るべき箇所を抜粋してご紹介する。
平川さんの論文は日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
空の神兵
日本の陸軍落下傘部隊がスマトラ鳥のパレンバンへ、海軍落下傘部隊がセレベス島のメナドヘ奇襲降下したすぐあと、姉と払は神田の共立講堂へ報告談を聴きに行った。
話し上手の軍人さんで、着地するときあやうく水牛にまたがるところでした、などと語って満堂の聴衆を笑わせた。
パレンバンへ奇襲降下したのはその油田の精油施設を無傷で確保するためである。
註4
メナドの隊長、堀内豊秋海軍大佐は土地の人にも慕われたが、戦後、オランダ軍の法廷で銃殺刑の判決を受け、メナドの地で戦死した部下の後を追い「白菊の香りを残し死出の旅」に旅立った。
辞世にある白菊とは落下傘のことである。
南方各地での軍事裁判に報復と見せしめの要素があったとするなら、それと同じ動機に発する裁判が、内地の東京で一つの見世物(ショー)として開かれたのは、当然の成り行きであろう。
日本側が受諾した「ポッダム宣言」には明示されていなかったにせよ、アメリカを中心とする連合国側には「大東亜戦争」を構想し実行した日本の軍人や政治家を処罰することが当然の事のように思われていた。
戦争中の対敵プロパガンダで燃え上がった反日感情は、パールーハーバーを奇襲した日本指導者を断罪せずにはおかなかった。
米軍を中心とする連合軍は、日本を占領し、戦争をしかけた日本は道徳的にも悪い事をしでかした国だ、と日本国民に思いこませようとしていた。
米国の眼で日本を裁く
ヨーロッパではニュルンベルクでナチス・ドイツの指導者が処罰されつつあった。
極東の東京市ヶ谷で日本帝国の指導者も処罰されねばたらない。
それが日本帝国をアジアにおけるナチス・ドイツの等価物としてアナロジカルに把握した米国を中心とする連合国側の占領政策であった。
1945年秋、勝者である連合国本位の歴史解釈の宣伝普及を強制されるや、日本のマス・メディアはそれに従った。
中にはその見方に積極的に与し、その歴史認識をあたかも自分自身の内から発したごとく、語り出す関係者もいた。
その勢力が声高であったこともあり、その権威を奉じて今日に及んでいる人もいないわけではない。
その間の心理を説明して一心理学者はこんなたとえを用いた。
米軍の思いのままにされた日本の報道機関が、相手の権威に服した様は、強姦された女性が無理強いされたとは言わず、そうではなく自分も同意したのだ、あれは和姦だったといって、自分自身を納得させ、訴え出ることもせず、世間体を繕った様に似ていた。
露骨に過ぎるたとえで恐縮だが、一面の心理というか真理をついていると思う。
この稿続く。