今日の後楽園と夏の写真を世界最高のピアニストが演奏するショパン「舟歌」と共に世界中の読者に贈る。2024年12月10日
本稿は、2024年12月10日に書かれたラフ原稿であり、「今日の後楽園と夏の写真を、世界最高のピアニストが演奏するショパン《舟歌》と共に世界中の読者に贈る」という宣言から始まる。
朝、YouTubeから偶然ショパン《舟歌》が流れ、世界的名声を誇る超優秀なピアニストの演奏に耳を傾けた筆者は、演奏時間を確認しようとして開いた画面で、ポリーニの《舟歌》に出会う。
誰もが認める名演奏家を聴いた直後でさえ、「やはり彼こそ世界最高」と即断できる感覚は、高校3年の一年間、NHK-FMで朝から晩までクラシックを聴き続け、世界一流の演奏家たちの響きを全身で浴びてきた経験に裏打ちされている、と筆者は振り返る。
音楽を衒学的に利用することなく、「音楽は響き」としてただ名手たちの音だけを聴き続けた日々は、「自分が進むべき道が一瞬で閉ざされた」若き日の苦闘を救ってくれた時間でもあった。
その後、ビートルズやボブ・ディランと共に生きるようにロックを聴き続け、「彼らと共に真実と普遍を生きていた」からこそ自分の人生を苦闘だと思わずにいられた、と述懐する。
小学5年生の時点で高校上級生並みの知能指数だったことに触れつつ、自らを「天才」と名乗り始めた理由、22時就寝・6時起床という今の生活リズム、そして2020年大晦日の夜に紅白歌合戦を消してYouTubeで村田夏帆という「超弩級の天才」に出会った瞬間までが、ポリーニのショパンをBGMに綴られていく。
本稿は、後楽園の写真とショパン《舟歌》を世界に贈るという構想の、精神的な背景と耳の履歴書でもある。
今日の後楽園と夏の写真を世界最高のピアニストが演奏するショパン「舟歌」と共に世界中の読者に贈る。
2024年12月10日
以下は、ラフの原稿である。
今日の後楽園と夏の写真を世界最高のピアニストが演奏するショパン「舟歌」と共に世界中の読者に贈る。
今朝、久しぶりに「舟歌」がYouTubeから流れてきた。
奏者は世界的な名声を得ている超優秀なピアニストである。
つまり、達人、名人の一人である。
今日の岡山は快晴のはず…帰宅後に彼のピアノと共にアップしようと思っていた。
演奏時間を確認するためにYouTubeを開けたら、ポリーニの「舟歌」があった。
即、聴いてみた。
彼は、やっぱり世界最高。
誰もが認める名演奏家を聴いた後ですら、即座に、そう思うのだから、これは、もう異次元といっても過言ではない。
ポリー二はピアニストの分野での大谷なのである。
私が、何故、こんな事が分かるのかといえば、一流は一流を知り、天才は天才を知るからなのである。
具体的に言えば、既述のように、私は高校3年生の1年間、朝から晩までNHKFMでクラシックを聴いて過ごしたからなのである。
朝はバロックから始まる。
当時のNHKFMは、錚々たる世界的なピアニスト、バイオリニスト、指揮者達やオーケストラの演奏を、連日、放送していたのである。
だから、それぞれの分野での当時の世界的な演奏家の殆どの響きを聴いていた。
私は、作家を家業としているMや、実は、何からかにまで彼を模倣しているだけのHの様に、音楽を衒学的に利用したりする気持ちは全くなかった事も既述の通り。
だから体系的に音楽を聴こうとか、勉強しようとか思うことも全くなかった。
「音楽は響き」
私は、ただひたすら名手たちの音を聴いていたのである。
それが、高校生の自分には、どうすることもできない、解決することができない問題で、自分が進むべき道が、ある日、ある時、一瞬にして閉ざされた、消え去った日々を過ごしていた私を、どんなに救っていてくれた事か!
今、こうして書いていて、初めて、この事に思いが至った!と言っても過言ではない。
だから、音楽に対する私の聴覚は尋常ではないのである。
超優秀な名演奏家を聴いていた後に、ポリーニの響きを聴いて、一瞬にして、彼が世界最高であると感じる感覚は尋常ではないと言っても過言ではない。
だから、極言すれば、最初の1音を聴いただけで、一流は一流を知り、天才は天才を知る事になったのである。
なぜなら、私は皆さんが、東大卒、京大卒でございますと言って生きている人生を失った対価として、最低でも正味1年間、毎日(生で聞けない時は録音しておいて)クラシックを聴いて過ごしたからである。
クラシックを聴く時間が終わった後に、ビートルズ、ボブ・ディランを聴きだした。
それからは彼らを始めとしたロックを、もっぱらに聴きだした。
これまでは自分の人生を苦闘だったとは全く思わないで来たが、私の同級生たちには、私の人生は、全く予想だにできない、つまり苦闘だったのだと、今、認識した。
何とか自分の力で生計を立てて頑張って…正に苦闘だった。
「能ある鷹は爪隠す」それが習わしのようにして生きてきた。
この時代に私を救ってくれていたのは、ジョン・レノンとボブ・ディランだった。
高校3年の1年間はクラシックだったのだが。
ひょっとすると、私は、世界で、最も上記の二人と一緒に生きていた人間だったかもしれない。
彼らの響きと一緒に生きていたから、自分の人生を苦闘だとは思わなかったのである。
彼らは真実であり普遍だったのだから至極当然なのだ。
つまり、私は、彼らと一緒に、真実と普遍を生きていたのだから。
私が、自分が天才である(小学5年生時に既に高校の上級生と同等の知能指数だった)と言い出したのは、もう隠す必要もなくなったからである。
ふと、私は、何故、今夜、こんな事を書いているのかと思ったのだが。
なるほど、さっきからずっとポリーニのショパンがYouTubeで流れているのである。
今夜は、彼を初めて聴いた時と同様に、彼の響きを聴いている。
私の全知全能が彼の響きに呼応していると言っても過言ではない。
それでも、今夜は、ここまで。
何故なら、私は、今は、基本的に、22時就寝、6時起床の生活をしているからである。
本稿は、この辺で終了して、冒頭の作業に入ります。
2020/12/31の夜、紅白歌合戦なんぞを、これ以上見ていても仕方がないと思い、YouTubeを見だした時に、村田夏帆という超弩級の天才を発見した事は既述の通り。
この稿、後日に続く。

2024/12/8 in Kyoto