浅田彰・柄谷行人の対談における「皇居で土下座する国民を『土人』と嘲笑した発言」を取り上げ、大江健三郎が彼らを「日本のふたりの天才的な文化英雄」と讃えた異様さを批判する。
本稿は、文學界(平成元年)での浅田彰・柄谷行人の対談における「皇居で土下座する国民を『土人』と嘲笑した発言」を取り上げ、大江健三郎が彼らを「日本のふたりの天才的な文化英雄」と讃えた異様さを批判する。潮匡人氏の論文を引用し、戦後日本の知識人が自国民を蔑視し、北朝鮮・中国のプロパガンダ的称賛と同質の言説を放ってきた事実を指摘。谷沢永一氏の批判も紹介し、日本の税金で生活しながら国民を「土人」と罵る倒錯した構図を明確にする。日本国民と世界が必読の論考。
「日本のふたりの天才的な文化英雄」との物言いは、例えば北朝鮮や、中国共産党の賛辞とうり二つだ
2024年11月10日
発言場所は、文藝春秋の看板文藝誌『文學界』(平成元年二月号)誌上の「特別対談1」。
2016年11月28日
月刊誌HANADA1月号(840円)も、今すぐに書店に向かって購読すべき論文が満載されている。
何よりも、朝日新聞などを購読し彼らの子会社であるテレビ放送を観て過ごして来た人たちは、絶対的に購読すべき月刊誌である。
何故なら、以下の様な論文が朝日などに掲載されたり放映されたりすることは絶対的にないからである。
見出し以外の文中強調と*~*は私。
「土人」に群がるマスコミと文化人
評論家、拓殖大学客員教授 潮匡人
自分はなんという「土人」の国にいるんだろうと思ってゾッとするー昭和63年、陛下の平癒を願う同胞(日本人)を当時、京都大学助教授だった浅田彰がこう揶揄誹謗した。
発言場所は、文藝春秋の看板文藝誌『文學界』(平成元年二月号)誌上の「特別対談1」。 「昭和精神史を検証する」と銘打たれた対談の相手は、柄谷行人(文芸評論家)。
「知識人は『生物学的』な天皇の存在に対抗し得なかったのだ」とのリード文に続く対談の冒頭、浅田がこう語った。
《実をいうと、ぼくは昭和について語りたいとはまったく思わない。昨年の九月このかた、連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、自分はなんという「土人」の国にいるんだろうと思ってゾッとするばかりです。それでもあえて考えようとすると、柄谷さんが前に『海燕』に書かれた(中略)が気になって、それでまた客観的に考えられないわけ(笑)》(最後の丸括弧内も原文ママ)
ご覧のとおり、「知識人」らが、一般国民を上から目線で嘲笑した発言である。
浅田は「特別対談」の初回を以下の放言で締めた。
《まあ共和主義者としては、皇位継承の騒ぎを冷ややかに見守りながら、どこかでボロを出すのを待つ、というところでしょうか》
実に、不敬かつ不遜な対談である。
その浅田と柄谷を一九九二年、大江健三郎は米シカゴ大学で行われた「日米の新しい文化関係」と題した講演で、「日本のふたりの天才的な文化英雄」と讃えた。
*「日本のふたりの天才的な文化英雄」との物言いは、例えば北朝鮮や、中国共産党の賛辞とうり二つだと誰もが思うのではないか*
大江が「自分は戦後民主主義者であり、国家と結びついた文化勲章は似合わない」(平成六年十月十七日付朝日朝刊「天声人語」)と拒否しつつも喜んでノーベル賞を受けた経緯は、谷沢永一著『こんな日本に誰がしたー戦後民主主義の代表者 大江健三郎への告発状』(クレスト社)に詳しい。
同書で谷沢はこう指弾した。
《日本の文化人が自国民を罵った歴史は乏しくない。しかし、「土人」とまで罵ったのは、史上、浅田彰をもって初めてとする。もちろん言論の自由は私も尊重する。だから、どうおっしゃろうと本人がそう信じているのであれば、それはそれでよい。ただしそれなら、その「土人」が奉納した税金で賄われている京都大学の月給で生きていくことはおやめなさい。/卑しい愚かな「土人」が汗水を垂らして稼いだ収入から税務署に取られている金で、京都大学は運営されている。浅田は、その経済研究所の助教授だ。きっと「土人」の汚らしい金で食事すれば、五臓六腑が爛れて死んでしまうに違いない。命永らえたいと思うなら、一刻も早く京都大学助教授の職を辞すべきだ。そして、独り立ちして、自分の二本の足で立って「土人」の世話にならず生きるがいい……》
後略
