淡島千景・淡路恵子・扇千景――女優たちをつなぐ不思議な「千景」の縁

淡島千景・淡路恵子・扇千景――女優たちをつなぐ不思議な「千景」の縁
淡島千景の色香あふれる名演を思い出した筆者は、淡路恵子や扇千景との不思議な「名前の連鎖」に気づく。淡路恵子は淡島千景の「淡」の字をもらって芸名をつけ、扇千景も宝塚の後輩として淡島に憧れてその名前を拝借した。夢の余韻から始まり、「丹下左膳」の記憶違い、後藤久美子との比較など、昭和の名女優たちが織りなす魅力を振り返る一篇。


2011/10/18

今朝は夢らしい夢を見て目覚めたのが4時5分前だった。
これらの事は後述することにして…まだ起きるには早すぎるかと寝直していた時、昨日の「丹下左膳」に於ける淡島千景の実に日本一と言っても過言ではない女っぷり。
長屋に住む浪人の女房役だから着物を着崩し肌を露にした感じで登場するのだから、これは、もう堪らない色香な訳である。

私の読者の中で淡島千景にピンと来ない方々には、後藤久美子が最も美しく輝いていた時…「男はつらいよ」の晩年、彼女が実質的な主役であった時の数作、特に最後の作品…
この頃の後藤久美子が着物を着崩し肌を露にした感じの格好をしているシーンを想像して見れば、その色香漂う女っぷりは分かるはず(笑)

そんな事を考えていたら淡島千景と淡路恵子がだぶって来て、「あれっ、あれは有馬稲子だったかな?」…起き出してウィキペディアを叩けば直ぐに写真が数枚…間違いではなかった。

ついでに「丹下左膳」も調べてみれば、こちらは左膳が間違っていた。
田村高広の親父の阪東妻三郎の方だった。
まぁ、極めてよく似た風貌だから間違いとも言い難いが(笑)

因みに私が淡路恵子が浮かんで来た事も伊達ではなかったのである。
げに人間の連鎖と言うか関係と言うのは不思議なものである。

何故ならば…宝塚の後輩である扇千景の芸名は淡島千景にあやかってつけた名前である。
また淡島千景の大ファンであった淡路恵子も淡島の淡の一字もらって芸名をつけている。
(ウィキペディア「淡島千景」より)


2024/7/30 in Onomichi

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