「戦狼外交」が示す中国の本質と、日本企業・経済界への痛烈な問い

本稿は産経新聞「正論」に掲載された楊海英教授の論考であり、中国の「戦狼外交」の本質と歴史的背景、さらに日本企業が中国依存によって30年以上日本の国力低下に加担してきた現実を鋭く突く内容である。高市早苗首相への脅迫的発言を含む中国の外交姿勢、紅衛兵時代の暴力的行為、反ソ・反英運動、そして極端な民族主義がどのように今日の外交官を形成したかを分析し、国際社会は毅然とした対処が必要であると強調している。

本稿は産経新聞「正論」に掲載された楊海英教授の論考であり、中国の「戦狼外交」の本質と歴史的背景、さらに日本企業が中国依存によって30年以上日本の国力低下に加担してきた現実を鋭く突く内容である。高市早苗首相への脅迫的発言を含む中国の外交姿勢、紅衛兵時代の暴力的行為、反ソ・反英運動、そして極端な民族主義がどのように今日の外交官を形成したかを分析し、国際社会は毅然とした対処が必要であると強調している。

以下は今日の産経新聞 正論からである。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。

私は、特に、私の先輩に等しい関経連会長の松本正義住友電気工業会長に問いたい。
共産党の一党独裁国家であり、「底知れぬ悪」と「まことしやかな国」であることが、その実体である中国が無ければ、存続できないような企業が住友電気工業、或いは関経連ならば、極言するが、廃業したらどうか?
人類の未来と平和にとって障壁にしかならないのだから。

そもそも、中国で上げた利益は、スムーズに日本に持ち帰る事が出来ているのか?
バランスシート上の数字が増えているだけなのではないか?
利益を持ち帰る事が出来ないから、中国国内で再投資して、中国のGDPを増やしているだけではないのか?
貴方たちがして来た事は、中国を富ませて、日本を貧しくした30年超であっただけではないのか?
それが証拠に、日本のGDPは、この30年超、550兆円から殆ど増えていない。
GDPが600兆円に増えたのは安倍さんが頑張った一時だけだった事は歴然たる事実である。
つまり貴方たちの中国事業は、中国(CCP)を富ませ、中国(CCP)の横暴を増大させただけなのである。
だから日本の労働者の給料は、この30年超、1円も上がっていなかったのである。
貴方たちは、完全に中国にしてやられていただけの30年超だった事に、今に至るも気がつかないのか?
それでどうして、あなたは日本国のエリートであると言えるのか?
エリートどころか、単なる受験優等生にして、二流・三流、然して国に仇名すだけの人間であると言っても過言ではない実態なのではないか?

歴史が示す「戦狼外交」の本質
文化人類学者 静岡大学教授 楊海英
見出し以外の文中強調は私。
このほど高市早苗首相が台湾有事は日本にとって「存立危機事態」になりうると国会で答弁したことが中国から攻撃されている。中国の薛 剣(せつ けん)駐大阪総領事は「汚い首は斬ってやるしかない」と日本の首相をターゲットにSNSに投稿(後に削除)。
13日には中国外交部が金杉憲治・駐中国大使を呼び出し、高市首相の発言は「中国人民が許さない」と抗議した。
こうした先手を打つ対外姿勢は「戦狼外交」と呼ぱれ、中華人民共和国の一貫した手法であった。       。       社会主義の「狼の血」 

中国・内モンゴル自治区のフルンボイル草原にあるハイラル市駅。
ロシア風と日本式の建物が入り交じるこの地は満洲国の要衝で、東清鉄道が敷設された清朝末期から栄えていた。
共産中国に占領されてからは北京からモスクワヘ通ずる国際列車が走っていた。 
中ソが「社会主義の親密な兄弟」から一転して互いを「レーニンを裏切った修正主義者国家」と罵りあうようになると、ハイラルは対立の最前線と化した。
1966年9月3日、紅衛兵たちは中国語とロシア語、それにモンゴル語からなる「ソ連共産党の裏切り行為を9回にわたって批評する」というパンフレットをソ連の列車に投げ込んだ。
ソ連側の乗務員も抵抗し、車内に乱入した紅衛兵2人を捕縛した。
乱闘の末に解放された紅衛兵たちを、中国政府はわざわざ飛行機を飛ばして北京まで連れ帰った。  
「あなたたちは反修正主義の若き英雄だ」と周恩来首相は最大の賛辞を贈り、同9月15日、「偉大な領袖、毛沢東」の接見を受けた。
国際列車の乗務員を攻撃し勝手に乗り込むのは国際条約違反であるにもかかわらず、中国政府は紅衛兵を擁護した。
以後、この紅衛兵世代はますます国際社会を敵視するようになり、中国では彼らを「狼の乳を飲んで育った世代」位置づけている。
その後の世代が薛剣氏である。
自国の非を認めず 外国に学ぶものは何一つないと中国は66年末に決定し、海外留学生に帰国を命じた。
フランスとフィンランドに滞在していた65人の中国人留学生は67年1月24日にモスクワ入りし国際列車で帰国する予定だった。
駐ソ大使館の指示で留学生たちは翌日、赤の広場に参集し、レーニン廟に献花した。 
献花ならよいとソ連は許可したが、中国人たちは毛語録を取り出し「スターリン同志だけが中国人民の良き友人だ」と朗誦した。これは暗に当時のソ連指導者を批判する行為で、すぐさま追い出された。
激しく抵抗する中国人はロシア人との乱闘で三十数人が負傷した。
中国政府は彼らを北京で迎え、時の国務院副首相兼外相の陳毅が「反修正主義の紅衛兵」という腕章を若者らに着けて熱烈に歓迎した。
外国の首都で当該国の指導者を批判した青年を英雄として位置づけ、国粋主義を鼓舞したのである。 
モンゴル人民共和国はソ連側に立ち、中国とは距離を取っていた。
同胞である南モンゴル人が抑圧されていたからだ。
67年8月初旬のある日、北京市内を歩いていたモンゴルの外交官が街に散乱していた『人民日報』を踏んだ。
その紙面に毛沢東の肖像画があり、「偉大な領袖を踏みつけた容疑」で外交官は北京市民に殴られ負傷した。
当然、モンゴル側も抗議し、国営の新華社通信記者と華僑の追放を断行した。
勝手に『毛語録』と反ソ連のパンフレットを配布していたことへの制裁である。 
すると中国は中国人から殴打された外交官を追放した。
自国の指導者の肖像画がある新聞を街に捨てたのは自国民であり、他国で政治的な書物を散布するのもルール違反であるが、中国は自国の非を認めようとしなかった。  
「戦狼」に対するには 
社会主義国とだけ対立していたわけではない。
中国は英国当局を挑発しようと、香港に潜伏していた共産党員やスパイを通して労働者の大規模ストライキを67年舂に扇動した。香港当局も厳しく対応し、北京は7月8日に民兵を派遣して香港に侵入させた。
香港警察が反撃すると、民兵の背後にいた人民解放軍は重火器で応戦し、香港警察側に犠牲者が出た。 
前線民兵を支援しようと8月22日に北京市民と紅衛兵は英代表所(のちの大使館)に闖入し放火した。
その後、香港は中国に返還されたが、中国と英国との閧で交わされた一連の条約は「古い紙くず」だとして一度も守ろうとはしなかったのは周知の事実である。 
極端な民族主義を鼓舞することで育成された「戦狼」は一人や二人ではない。
今日の中国人民のほとんどが反日の思想を胸中に潜めて日本で跋扈しているのも、愛国主義という「狼の乳」が遺伝子のように沁み込んでいるからである。
戦狼に冷静で紳士的な対応は通じない。
追放すべき時は「ペルソナ・ノン・グラータ」の措置をためらわず、国際社会と歩調を合わせるべきである。
モンゴル人民共和国とソ連のとった対応が正しかったので、中国は今もロシアとモンゴル国に敬意を払うようになっている。 
(よう かいえい)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください