対日恫喝の裏を見よ――南京事件を外交カードに使う中国と外務省媚中派の責任
本稿は、2024年10月3日付「産経新聞・正論」に掲載された小堀桂一郎・東京大学名誉教授の論文を基に、南京事件が中国共産党による謀略宣伝であること、阿羅健一氏の最新著書がその虚構を改めて証明した意義、さらに外務省内の「媚中派(チャイナスクール)」が日本外交を誤らせてきた実態を論じる。中国の対日恫喝の本質と、それに屈してきた日本側の構造的問題を鋭く告発する論考である。
以下は、対日恫喝言動はその裏を見よ、と題して、10/3,産経新聞・正論に掲載された、小堀桂一郎東京大学名誉教授の論文からである。
南京事件の虚妄突く阿羅氏
アパ日本再興財団が募集してゐた本年の第8回日本再興大賞の優秀賞2件が決定したが、その中に阿羅健一氏の『決定版 南京事件はなかった 目覚めよ外務省!』が入ってゐる。
所謂南京大虐殺事件とは中華民国政府及びその跡を襲った中華人民共和国政府の謀略宣伝の所産であって、歴史的事実としてその様な事件は発生してはゐなかった。
その事は、良識ある日本人なら夙(つと)に承知である。
事件自体が架空の話である事はそれを実証するために「日本『南京』学会」を設立して広汎な共同研究を実施し、立派にその目的を果した東中野修道氏を含めて、実に多くの研究者が多角的な視点から其々に大きな成果を挙げ、全体としてその研究は完了した。 歴史的実証的研究は完了してゐるのであるから、此度の阿羅氏の著書にも新発見の資料の提示があるわけでもなく、新しい解釈による展望の発展があるわけでもない。
本書が受賞に値すると評価された所以は「目覚めよ外務省!」との付題がそれを示し得てゐる。
本書の本論は「南京事件はこうしてつくられた」との章題の下に南京事件を計画的に偽造した米国系通信土の米人並びに中国人社員による贋写真を用ゐての、被害映像作りの紹介で始まる。
我々が何かの媒体で見た覚えのある戦争の惨禍の象徴的映像である。
それを見て戰争とはかうしたものだ、仕方がないと考へてゐた諸情景が、実は日本軍の暴虐を誇大に宣伝するための演出の所産なのであった。興醒めと言ふより他ない。
虚妄といふ定義が最も相応しいと思はれるこの事件は、実に不思議な事に、時が経っにつれて人々の記憶の中で薄れてゆくのとは逆に、次第に事実としての影を濃くしてゆく。
その不条理を分析してゐるのが阿羅氏の新著の大きな意義であって、即ち第4章は「日本が南京事件を認めたのは昭和57年」と題し、この年は南京事件を持ち出す事で中国が日本に対し所謂歴史戦を開始した転換の年であった事を指摘してゐる。
そして中国からのその挑戦に屈服して相手に自国の急所の在処を教へ、其処を突けば日本は必ず中国の言ひなりになると唆したのが外務省のチャイナスクール一派であったと明記し、断罪してゐる。
外務省媚中派の策動
この名に触れると筆者にも直ちに苦い記憶が一つならず甦ってくる。
昭和57年の教科書書き換へ誤報事件を契機として、在るべき瀝史教科書はむしろ自分達の手で編纂しようと、日本を守る国民会議で編輯(へんしゅう)刊行せんとした「新編日本史」は昭和61年に検定を通過したが、この時この教科書に南京事件についての反省的記述がない、といふ事で不合格をちらつかせて圧力をかけて来たのが外務省のチャイナスクール所属分子である。
平成4年に天皇、皇后両陛下(現上皇、上皇后両陛下)の御訪中問題が生じた時にも、反対派は産経新聞に二度までも御訪中反対の全紙大の意見広告を出したのに、結局は北京の共産党政府の勝手な政治的必要から出た要求に迎合し、御訪中を実現せしめたのも外務省内の媚中派の策動による。
日本国天皇の御訪中により、中共政府はその3年前の1989年の天安門事件に於ける学生の民主化デモに向けて容赦なく銃撃を加へ苛酷な弾圧を敢へてした、その暴虐につき国際社会が大目に見る様な空気を作り出す事に成功した。
かうして中国政府は歴史戦に於いて日本をどの様に扱へば勝てるかといふ骨法を次第に巧みに身に付けてゆく。
中国の恫喝には無視黙殺を
阿羅氏によれば現国家主席である習近平が南京事件を対日外交上の武器として盛んに活用し始めたのは、主席就任の翌年である平成26年だった。
それまでも事件の存在自体の実否や細部の解釈をめぐって種々の論争や訴訟が生じてはゐたが、強く国内の関心を惹く大問題とはなってゐなかった。
その段階では日本国内でも、あれは蒋介石政権による謀略宣伝の産物であって、要するに実体は無いとの認識はかなり普及してゐたのだが、唯外務省だけがそれを日本の大勢であると言ひ切る勇気を持たなかった。
そして習主席が自己一身にとっての政治的必要性から国際社会で喧伝する南京大虐殺論に然(しか)るべく反論もせずにゐる。
かうした現在の状況から見ても今回の阿羅氏の受賞は効果的である。
日本語を読みこなせる中国人の数は内外合はせて相当数在ると推測できる。
その人々が受賞の話題性に惹かれて本書を繙(ひもと)くとすれば習主席が77年といふ歳月を溯(さかのぼ)って南京事件の亡霊を叩き起こし、己の政治的欲求の一端を満たすための道具として利用しようとした事の愚かさと醜さを判然と認識できるであらう。
折から習主席は我が高市早苗首相の「存立危機事態」に係る合法的見解表明を殊更に問題視して対日歴史戦争の戦果の一に仕上げようとしてゐる。
その愚かさは架空の南京事件への執着と同じである。
外務省媚中派は今度こそ眼を覚まして彼の恫喝を黙殺するがよい。
(こぽり けいいちろう)