東京大特任準教授 菅原 琢君へ。

僕の親友にW大卒のO君と言う優秀な若者が居る事は既述した通りですが。

彼は、留学中から社会人と成った今に至るまで、ニュースや情報はネットで見ていると思う…新聞は買ってまで読んではいないはずだ…

今なら、その抜群の語学力を活かして、NYタイムズ等やウォールストリートジャーナル等を、あっというまの早さでネットで読んでいるだろうが。

それは彼だけではなく現代の若者には多いはずだと僕は思う。

先ずPCを制したマイクロソフトが世界一の企業に成った…次にネットを制したグーグルが世界一の企業に成った…この大潮流に押されてTVも大きな影響を受け、大新聞、雑誌は青息・吐息。

週刊朝日を除く週刊誌の見出しが、あんなにドギつく酷くなったのは、彼らの断末魔に近い叫びでもあるのです…新聞や雑誌が、本が売れない時代=ネットが興隆している時代なのです。

菅原君、ネットには確かに「ネットの寝言」というものがありますし、見るに堪えない、聞くに堪えないものも一杯あるでしょう…でもそれは現実社会と全く一緒。

ネットはそれだけのものではなく、人類史上最大、最高の図書館であるウィキペディアもあれば、株やFXの取引…日々の、ありとあらゆる経済情報が飛び交う世界…人間社会の全てが在ると言っても過言ではないのです。

君は、東大と言う権威の中で、全ての情報を独占して知っている、或いは、君が知っている情報こそ本物だ、と思いこんでいる様ですが、それは大間違い。

君が言う様に、ネットの声は、日本では、今は、まだ小さいかもしれないが…実は、どんどん、大きく成って来ている…米国でオバマが勝利したのだって、ネットで莫大な献金を集める事が出来た事が大きかった。

僕は、止むを得ず、ネットで書き出して、暫くした頃、少し疲労を感じる事があった…ネットは闇に向かって書いている様な感覚に捕らわれる事があったからです…今は違いますが…

この時の夜、司馬遼太郎についての見事な労作を書いていた文章をネットで読んだのです…何処かの大学教授の講演記録の様な文章でした…全ての参考文献を書いて。

これは、僕が、これまでに読んだ、どんな司馬遼太郎についての文章より、彼の真実を伝えるものだった…因みに、僕は、長年の週刊朝日の読者ですから、彼については、普通の人より知っているつもりでした…関係ない事ですが、ホテルオークラのバーで、何故か、二度も彼と、遭遇した事も。

この時から、僕は、ネットで書き続ける事に対する躊躇いが消えた。丸山真男大人が、本業の分野の学問研究が本店で、現実世界での発言や、それに準ずる文章は、夜店と例えた様に、言うならば、

僕が、使命として書かなければと思っている一冊の本が、本店で、此処は夜店という感じもあったのですが、段々、その境目が、消えつつある事も感じている。

何故なら、新聞は、毎日、処分され、済んだものは滅多に読まれる事が無く、読もうと思えば、図書館まで行かねばならない。雑誌や本もまた、しかり。

しかし、ネット(ブログ)は永遠に残るのです。しかも、いつでも修正・校正が出来る。

それに菅原君、文章とは=表現とは、そこに真実が在るかどうかだけが問題なのであって、どこに書かれたかは問題ではないのです。

君の様な人にこそ、僕は、君の先輩でもあるだろう、気鋭のジャーナリストだった(今年、亡くなったからです)室伏哲郎氏が、2009年4月10日号の週刊朝日に、遺書の様に寄稿した一文を贈りたい。…「文明のターンテーブル」中に在ります。

東大以上の知性はない、東大に在る以上の情報は無い、その様な権威主義に、何らの疑いも持たず、自らも…知らず権威主義者に成ったら、どうなるか?

近くは平成4年8月、朝日新聞を始めとした正義感の大合唱で「日本の失われた20年」を作る様な事、遠くは60数年前の日本を作る様な事に成るのです。

今なら、小沢一郎氏に対する迫害や、今日の組閣や、村木氏への冤罪に。

今の君とは比較する事も出来ない大人、丸山真男を二等兵として、広島で被爆、まで持ち込んだのは、君と同じ東大卒である蓑田胸喜だった訳だし、あの史上最悪の戦争に持ち込んだ人間達の中にも多数の東大生がいたのだから。

東大が全てで在るかのような権威主義は真実から最も遠くに在る考え方ですよ。

ネットで書かれている事は、小言だなどと断じている君は、世界について、或いは人間について、何にも知らないと広言しているに等しい。

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