「山懸有朋の挫折」 松元 崇著…2/5、日経読書欄から。

明治維新以降の地方自治の歴史   文中黒字化は芥川。

日本経済新聞出版社・2800円
▼まつもと・たかし 52年生まれ。内閣府事務次官。

昨年末の大阪府知事・大阪市長のダブル選挙以降、地方分権への関心が高まりつつある。地方分権改革が進まない背景には、利害対立のみならず、歴史的経緯もあるようだ。本書は、明治維新以降の我が国の地方自治の歴史を山懸有朋を通じて描いたものであり、様々な視点から楽しめる。

1つには、元帥陸軍大将として軍部を司り、政党政治を批判する元老として政局に影響を与えた人物として有名な山懸の、違った一面を明らかにした点である。普通選挙を激しく嫌った山懸は、国政選挙より資格制限が緩く多くの人が投票できる選挙に拠る市町村の議会に権限を与え、これを立憲制の学校として国民意識を育もうと当初腐心した。しかし、政党が台頭し、地方へ露骨に利益誘導したり地方人事に介入するようになると、地方自治確立への山懸の熱意は失われていった。

2つには、今日にも名残がある中央集権的な制度が、どんな契機で形成されていったかを深く理解できる点である。山懸に見放された地方自治制度は、大正期以降、地方の貧困克服を狙いとして、国の救貧行政の拡大を通じて集権化していった。政党が中央官僚OBを町村長に据えて地方行政の効率化を図ろうとしたが、これによりむしろ地方は国の末端行政機関と化した。高橋是清は「自力更生」を目指す地方対策を試みたが未完に終わり、その後国への財政依存を高める結果となった。今日、地方分権を求める声が高まっていながらいまだ不徹底なのは、こうした第2次大戦前に打ち込まれた襖の呪縛からまだ逃れていないからだと、本書は教えてくれる。

3つには、「地方自治」の真意は何かを、本書を読むことで改めて深く考えさせられる点である。明治維新当時、明治政府の統治体制が未整備だったが各地には江戸時代からの自治組織があった。そこには、国に依存する発想はなく、自らの制約の範囲内で自律的に地方自治を全うする姿があった。今日はどうか。地方分権といいながら、何かにつけ国のせいにし責任転嫁していては改革は貫徹しない。自己決定だけでなく自己責任の発想が、今日の地方自治に欠けていることを痛感させられる。

評者:慶応大学教授 土居丈朗

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