前章についての芥川の評。
芥川は全共闘運動について同級生達の多くが様々な影響を受け、参加しない事を選択しても…参加しない理由と言うか哲学が必要だった難儀な時代の…同世代でありながら「全く実感はわいてこない」人間なのである。
それは何故かと言えば、例え、それが家庭的、個人的な事情がもたらしたものであったとしても…芥川は、人が大学生に成る歳に、家を出ざるを得なかった事は、読者の方は御存知の通り…その過程で京都に居た或る時に「僕は大学に行く必要はないな」と思い、それを実行した人間だからである。
だが、同級生達の多くが…偶々、故郷に帰った時に、中心街を騒然とデモ行進していた東北大学生の一団の中に、同級生の顔を見たりしていた…そう言う面では全くの同世代の人間として、この著者と、評者に言いたい事があるのだ。
犬畜生にも劣る様な犯罪者や、本当の低能が、匿名性を良い事に、好き放題な事を声高に言ったり、本当に下種な拝金主義者たちが、情報商材等と称するものを売り付ける為に、下らぬ事をしているネットの世界で、
ただで、真実を書いている事に、嫌気が差して来ている、この頃なので、あんまり、真実を書きたくは無いのだが。
気を取り直して書けば、この著者が、その事が分からないのは当然だとしても、いつも力の入った評を書かれる中島さんが、その事にきづいていないように感じられるのは、少しばかり怪訝な感じがした。
読者の方は御存知だと思うが、芥川の同級生に、本当の大器晩成型の親友が居たのである。
彼は、芥川とは違う意味で個人的な=家庭的悩みを抱えていて、それが自分の人生を決定する本当の要因にも成った男なのだが。
同級生の前から姿を消し消息を絶っていた芥川の実家宛てに、彼が、葉書や封書を頻繁に寄こして来ていたのが、丁度、全共闘運動が全国の大学を席巻していた時だった。
因みに、彼は、日本有数の超優秀校で、前記の様な個人的な理由で一浪した後に、才能を開花させ、全校で一番と成り、東大でも何処でも好きな所に行けば良い、と言うポジションに居た男である。
著者である佐藤信君、及び、中島さんよ。
全共闘運動が、同級生達に、大きな試練を与えたのは、彼らが、受験勉強を終えて大学に入学した途端に、運動者たちから、突き付けられた問い…「自分たちが、東大、京大、東北大、etc.で在る事は、結局、大衆を差別する側に回るだけではないか」に在ったのだと、芥川は確信している。
この問いを瞬時に打ち砕く哲学を高校生時分に打ち建てていたのは芥川位のものだったろう。
真面目な人間、真剣に学問に取り組む人間は、誰もが、この問いの前に立ち往生し、多くのものが運動者たちの戦列に加わったというのが、唯一の真相であると芥川は確信している。
この時、芥川の無二の親友が、期待していた答えについては、芥川が、書き出し始めた「芥川の電子書籍」の中で、いつか書く事にする。