春秋…日経新聞2月10日1面より

明治初めの西南戦争。国内最後の内戦は、薩摩軍を率いた西郷隆盛の自決で幕を閉じたが、新たな闘いが続いた。凱旋した政府軍兵士にまん延したコレラだ。猛威をふるう疫病。その闘いの中に、ひとりの若い医師がいた。後藤新平だ。

▼後に大物政治家として知られる後藤は、若いころに西洋医学を学んだ。西南戦争ではコレラとの闘いで地獄をみた。その体験から、なにより予防を重んじ、病が起きたら迅速な対処が大切として「健康警察医官」の創設まで提言した。日清戦争では疫病のまん延を防ごうと、帰還兵への大がかりな検疫に奮闘した。

▼恐らく、こんな経験が行動を促したのだろう。関東大震災の直後、内相の後藤は東京大改造構想を唱え、わずか1ヵ月弱で帝都復興院を立ち上げた。自ら総裁になった。「計画が一日遅れれば、実行は百日遅れる」との焦り。そして「後世の子孫に再び同一の惨禍に遭遇させる危険」を防ごうという思いがあった。

▼東日本大震災から11カ月。復興庁がきょう発足する。帝都復興院と比べてあまりに遅かったが、より重要なのは子孫のため、どんな実績を残すかだ。後藤の壮大な構想は財政不足や内閣総辞職でとんざしたものの、都内には昭和通りなど主要幹線、避難場所となる隅田公園など、その片りんはいまも残る。

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