天声人語…朝日新聞2月17日1面より
今年が没後100年の石川啄木に、海を詠んだ、どこかおかしくて淋しい一首がある。〈ひと晩に咲かせてみむと、/梅の鉢を火に燃りしが、/咲かざりしかな。〉。3行書きだが、改行と読点をとばして読むと三十一文字のリズムになる
▼実際に試したのか空想かはおいて、にじむ屈折は、思うにまかせぬ人生の投影だろう。しかし梅は、せっかちをしなくても寒さの中へきりりと開く。桜や桃が春の花なら、梅は春を呼ぶ花だ
▼中国、宋の陸游は梅を愛した詩人たった。「落梅」という詩でこう言っている。桃や李がよい季節を選んで咲くのは、それでかまわない。だが氷と雪がきびしく張りつめる大地に、力いっぱい春を甦らせようとしているのは誰か。梅ではないかー-(『陸游』岩波書店)。花の姿に「凛」の一字が似合うゆえんだろう
▼その梅が、今年はどこも遅い。気象庁によれば東京の開花は平年より15日も遅かった。立春を過ぎれば「余寒」と言うが、酷寒の風にふるえる日が続く。北国のつぼみは降雪の下で身を固くしていよう
▼思えば2月は不思議な月で、光は春なのに冬がきわまる。没後70年、与謝野晶子の詩「二月の街」はうたう。〈春よ春、/街に来てゐる春よ春、/横顔さへもなぜ見せぬ。/春よ春、/うす衣すらもはおらずに/二月の肌を惜むのか……〉
▼寒気が流れ込み、週末はきびしく冷え込むという。だが、寒さの底で何かが兆している。ぴしり――と氷の割れる音に、耳を澄ます春よ早く来い。
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