2012/3/10、城南宮。午後3時。②

椿は、報告通り、まだ〈咲き始め〉だった。

やがて貴族の別荘が建てられるようになり、平安時代の末には白河上皇が壮大な離宮(城南離宮、鳥羽離宮)を造営して院政を開始されたのです。上皇の御所や御堂、また貴族の御殿などの建物が建ち並び、人々が行き交う様子は「都遷りのようである」とその賑わいがたとえられています。
 
こうして白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇と4代150年にわたり政治・文化の中心となり副都心の賑わいを見せたのでした。

後白河法皇は今様(いまよう)を好み『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を残しましたが、その中に「いざれこまつぶり城 南寺の祭り見に・・・」という祭り見物を誘う今様があります。

この写真を撮っている時に、弊社専務が「椿と梅で蔵建てた」、と呟いたものだから、芥川も思わず吹きだしてしまった。

昨年、朝日新聞の記事で知って、初めて此処を訪れた時は、正に満開だった。

この時の事は、読者の方は御存知だと思う。正に梅の饗宴、桃色遊戯として、sunsetrubdownの曲と一緒に、狂瀾怒濤の梅観を為した訳である。

この時、一通り観終えて、帰路の椿の花観に差し掛っていた時に、後ろから、やんごとなき親父さんの一声が聞こえて来たのだった。

「ここは植物には金掛けてるでぇ、梅で当てたな…」

私たちは、大笑いしたのだった。いかにも関西というか、その声の響きと言い、抑揚と言い、内容と言い。

その連想で弊社専務は冒頭の呟きを為したからである。

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