「分かっており申した…」。
下手な考え休むに似たり、で、何も分からず、実際は、何も考えずに、ただ、わしらを眺めているだけの御仁よりも、
わしらは…かつてのエリザベス女王の様に、「こういう庭は嫌いだ。庭は閉じ込められているものではなくて、開かれているべきものだからだ…」と、はっきり言ってくれるような御方や、
殿の様に、わしらの庭には、本当は、全く興味が無くて、我らが鏡容湖を日本一愛している御方(笑)
「有無、確かに、その通り。御明察。わしは、四季折々の、日々刻々の鏡容湖が、堪らなく好きでのぉ。願わくば、毎日、時々刻々、眺めて暮らしたい、と思っておる程じゃ、それだけではなく、お主たちの庭をでてから、続くあの庭…春には桜の、秋には紅葉の、冬には万両の饗宴…わしは、あの庭が在るから、一層、鏡容湖に惹かれるのじゃ」
「分かっており申した…」

さぁさ、皆さま方、読書じゃ、購読、功徳、御購読。「文明のターンテーブル」は、世界遺産である龍安寺にも負けない、多彩の光輝を放ち、その静謐さは、海より深く、その怒りは、庭の石よりも大いなる本ですぞ。(笑)本屋に急がれい。
「文明のターンテーブル」を読まずして21世紀は語れない。