天正13年(1585)に豊臣秀吉の寄進を受けるまでは復興はままならなかったようである。
この応仁の乱以後、しばらくは火災も少なくなり、復興事業が進められている。
しかし、数度にわたる火災の被害は甚大で、天正13年(1585)に豊臣秀吉の寄進を受けるまでは復興はままならなかったようである。
秀吉は嵯峨、北山など一七二〇石の朱印を天龍寺に寄進し、この寄進によって本格的な再建が進められた。
さらに慶長19年(1614)、元和元年(1615)、寛永10年(1633)にも朱印が寄進されている。

2012/4/15、天龍寺・曹源池庭園にて。