その原因が在るのだ、と、私は大胆な仮説を打ち建てた。
小野妹子、最澄、空海、etc. etc.の人達が、国の為に=日本の国の知性増進のために、命を賭して、遣隋使、遣唐使となって中国に渡った。
その逆として、鑑真、建仁寺の栄西、万福寺の隠元、の様な方々が居る訳である。
己の為でなく、知性の為に生きた人々が居たということ。
京都を、奈良を知る、或いは京都に住む、奈良に住む…関西に住むということは、そういう事を知るということである。
さて、にもかかわらず日中戦争を起こしたのは、古代からの有り難くない贈りものに、その原因が在るのだ、と、私は大胆な仮説を打ち建てた。
emperor-banzai-fascismとは、中国を、その発祥とする律令制度に在るのだ、と。
ならば、何故、中国では、emperor-banzai-fascismが起きなかったのか?
言うまでもなく、中国は、多民族国家であり、繰り返された内戦の度ごとに、それぞれの王朝は途絶えた。場合に依っては、根絶やしにされたのである。万世一統などという言葉は在りようもなかった。
戦争とは、古今東西、苛烈なものであり、例えれば、烏の共食い、そのものの悲惨さ、愚かさが、その常であり、実態なのである。長い歴史を持った国で、そういう過去を持たない国はない。